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医療における第一発見者の気持ち
『僕』はしがない医療従事者である。
いや、これからする話をするには少し書き足す必要がある。
中小病院に勤めている40歳の臨床検査技師。
冴えないと言って仕舞えば、それまでどこか飄々としていて仕事というものにおいては自分なりの距離の置き方というものを感情も含めて持っている。
この言い方をしたのは"患者さん"という弱い者を常に相手にしないといけないという役割と負い目、そしてその弱者にさらなる何かを押し付けてしまうという仕事についてだ。
『僕』の仕事の中では職業上、患者さんの違和感を一番はじめに知る職業である。
これは検査技師という仕事の特性の話であって何も特別なことではないのです。
違和感というのは病状つまり患者さんの何が今回、病院に訪れたかの原因のことを指す。
これが軽いものであるならばいいのだが、時にはその命がもう取り返しのつかないようなものであるということさえある。
これが頻度高くある訳ではないが扱うものが扱うものである以上、絶対はない。
暗い部屋の中で白黒の画面が揺らぐ。それを『僕』は注視していた。
白と黒のコントラスト。微妙な変化。
それらを目で追うのですが、これがなかなかシンドイもので。
集中力を要するものである。
腹部エコー検査。健康診断などでも行われるもので、今回は50代の男性で健康診断で数値がひっかかったとのことでの検査だった。
検査をすすめていくと"違和感"を感じる。
それもとびっきりの違和感。これは自分で確定できることではないし、もちろんそれを患者さんに悟らせてイタズラを不安にさせるわけにはいかない。
しかし、いつもなら10分もかからない検査は少し長くなった。
目の前の画面と睨めっこをすることに集中するため時間の感覚がない。
画面の端に映る時計がその時間の感覚を自分に自覚を促していた。
終わったとき、その"違和感"は確証に変わり、主治医を呼び説明をする。
患者さんにはその場で説明がはじまった……
『僕』が見つけたものは末期に近い病巣
「膵臓がん」だった
見つけにくいなんていわれるくらいの臓器で、なにも『僕』が特別に優秀であるというわけではなく"見つかるくらいの違和感"だったというだけのこと。
膵臓の尾部つまりは端っこのほうに大きな癌ができていて、脾臓、脾門部にも浸潤、肝臓、リンパ節、他の臓器にも明白に転移をしていた。
すぐにダイナミックCTをということで撮影をして、その画像を見てみると声を失うくらいだった。
担当の消化器医は淡々と事実だけを述べた。
こういうときは変な"寄り添い"はいらないのかもしれない。
そういったものがどのように相手に捉えられてしまうかはわからないからかもしれない。当の患者はというとその落胆は隠せず、身体全体でそれが表現されていた。
小説だったら、肩を落として、真っ白い青ざめた顔をして……などの決まり文句にて語られるのであろうがまさにそれだった。
程なくして患者さんへの説明が終わると大きな病院へ転送ということになった。
主治医は紹介状と検査データを渡して、患者さんは軽く会釈をして出ていく。
3分後くらいだろうか主治医と話していて口からボソッという。
「もって半年くらいだろうね……」
それは聞こえるか聞こえないか、そんなか細い声だった。
あまりの突然のことだったこと、ここまでくると手の施しようがないこと、または出ていった患者さんに間違っても聞こえないようにするための配慮だったのかもしれない。
そうですか、と『僕』は詳細は気になるものの聞けず、あとでカルテで見ることにした。
何か悪いことをしたわけではないのだけど、はじめに病気を発見をしてしまったことに何か後ろめたさを感じてしまったのだった。
『僕』がこれを指摘しなかったら……
そんな気持ちもないわけではないが仕事上そうもいかない。むしろ、それは患者さんのためにもならない。
しかし、症状もないのであれば気づかないままで生活をしてその時を迎えた方が患者さんにとって幸せな時間は長かったのか。それともそれを知り覚悟を決めたほうが良かったのか。
学生で取り扱うような、いや、こんな新米医療人が取り扱うような医療倫理を考えて何の意味があるのか。そんな風に考えてしまうこと事態はよくないのだからと考えてしまうのです。
しかし、そこまで考えてしまう精神的な、哲学的な救いまでは医療にはできない。
その領域はむしろ宗教であり、本人の受け入れ方、価値観、人生観というものだろう。
そこは患者さんへのフォーカスをあてた視点である。
しかし、こちら側の問題を見つけてしまった側の気持ちというものも取り扱い方というものがあるもので……
ナイーブといってしまえばそれまでで
『僕』も人間だから何も機械的,事務的な処理で仕事はこなせたとしても、感情が動かないわけでもない(出さないだけで)なんというか、そういう話をしてみたかっただけなのかもしれない
そんなフィクションかもしれないしノンフィクションかもしれない話