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人生はこれでいいのだと言える寛容さ

人生はこれでいいのだ

赤塚不二夫は言った。これでいいのだ。
そんな寛容さに人は安心して寄りかかれるのである。
やれ、なんでこんなことをやったんだ?
これは不謹慎である。これは気に入らない。
別に何を言おうと勝手なのだが、それをみんなの声にしないでほしい
そんな効果があるのはSNSであるように思えるのです。

現代において、「人はなぜ、これでいいのだ」と言えなくなったのだろうか
何か文句を言わないといけない、興味を示さない。
人は何かに真面目に反応する。
これでいいのだという寛容さがない、余裕がない。
余裕がないのに、これでいいのだという曖昧さを許さない。

昭和という文化の匂いはどこか人間らしさというものを醸し出している。
それは過ぎ去ったレガシーのようなものであるはずなのに
そして、忌み嫌われていて現在においてはホワイト社会になっていく
誰も彼もが他人の目を気にしなくては生きていけない
自分の不快が回避されている良い社会のはずなのに、何処か居心地は良くなくて息苦しい。
それを外に連れ出してくれる人間というのはあまりにも少ないし、その助けてと弱きものが声を上げることすらできない。

人生、これでいいのだ

そんな一言で終わらせて、相手の想像力にお任せしてもいいのではないかと思う
結局、人はいい勘違いがあるだけで理解されるというのは程遠く、時間を要するものである。
もちろん、大切なことは声をあげて伝えるべきだと思うが大体はいいんではなかろうか

年末になってゆっくり頭の中を書き出しているのです
別に何か考えなくてもいいじゃないですか
さぁ、みなさん、ご一緒に

これでいいのだ

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