ブレインロット (brain rot)という病に罹患した人たち
ブレインロット (brain rot)という言葉をご存知でしょうか?
オックスフォードから発表されている今年の流行語大賞みたいなものです。
日本のものとは違って割とたくさんの人たちが使っている言葉を取り上げるものなので信憑性もあります。
ブレインロットとは、インターネット上の低品質なコンテンツを過剰に消費することで引き起こされる精神的・認知的な影響を指す俗語です。
直訳すると脳腐れという状態です。
主にA世代、Z世代で使われていてその周辺の若者たちはこれらのものをしっかりと感じられる価値観を持っているのだなぁと『僕』は感じています。
(現存では海外の人たちに限るですが……)
このnoteでは『僕』がドーパミン・カルチャーとして取り上げていました。
同じような意味合いと捉えてもらってもいいかもしれません。
この凡庸で取るに足らないコンテンツをショート動画や配信動画、SNSで消費していく。
このドーパミンによる連続かつリズミカルな単純刺激は『僕』は人間というものの機能の低下になっていくのではないかと考えていました。
ここ最近では本を読むより動画をみて勉強すれば良いじゃないかという人も出てきました。
文字を読むという能動的な働きから学ぶという姿勢における勉強と受動的な学びの姿勢ではやはりメリット、デメリットのそれぞれを理解して使い分けしていくべきではないかという考えであります。
学ぶための動画というのも否定をするつもりはありませんが、それだけ全てを理解したつもりになるというのは危険なのです。
これに気づけないということにさらなる問題があるのです。
ブレインロットにおける生産性の低下、思考力の低下、認知力の低下というのものは最近、ブレインロットに罹患した人間と出会うとわかるようになってきます。
話が合うこと、噛み合わなくなってきます。これが普通なのかと思うくらいです。
現在においては生成AIが出てきて人間の価値というのは労働価値においては間違いなく低下していくことは決まっています。
いえ、より際立ってくるというのが正しいかもしれません。
代替される人間、生成AIによって補完されることでより良いパフォーマンスを発揮できない人間に労働価値というものはより低下され、逆の人間はよりその低下した人間を補うように価値が上がっていくのではないかと考えています。
人間の存在価値として考えるとブレインロットに罹患した人間に、価値を見出すことができるのか
いや、その言語化できない“何か”に価値があるはずなのですがブレインロットはそれすらも感じる感性を失っているかもしれません。
そうしたとき、この世はまさに地獄です。
かく言う、『僕』の今年の目標は仙人になることです。
このような大量な凡庸で刺激だけのコンテンツからはより意識的に避けていこうと考えています。
その代わりと言ってはなんですが、このnoteに文章という形で少しずつ良質と感じてもらえるコンテンツの作成に心血を注いでいこうと思っています。
文章を読むことは好きです。
そして、それを伝える側としての文章書きとしてもう少し成長していきたいと考える所存です。