時間の遅さを尊重することが幸福につながる理由
現代社会において、私たちが生活する中で時間の速さが求められる場面は多々あります。
それは仕事であったり、義務というものを負わされているものに対してはそれを求められる場面ということがほとんどです。
しかし、今回、お伝えしたいことは「時間の遅さを尊重することが、より深い幸福感をもたらす」ということです。
人間は生きていく上で、ただ速く何かを達成することが幸福を保証するわけではありません。それは合理性を求められる場合においてであり、前述した仕事などの目的を達成するための一手段、条件として求められるものであります。
(また、何か簡単なタスクをこなすことが精神的な余裕を生むための手段であるというような行動心理学的な見地もあるのは事実ですがここでは”時間”というものを主語として取り扱うため考えないものとします。)
その過程で得られる感覚や、時間をゆっくりと噛みしめることで得られる満足感が、私たちの生活における豊かさや充実感を高めるのではないでしょうか?
まず、現代社会が私たちに強いる「速さ」について考えなければなりません。
いわゆる「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉が象徴するように、効率性が何よりも優先され、時間をいかに短縮し、最小限の労力で最大の成果を得るかが重要視されます。
この考え方は、特にビジネスや学業において目立ちます。
締切や目標達成のために、私たちは無意識のうちに速さを追い求めています。
それは確かに目的達成には不可欠な条件の一つであり、合理性を持った行動です。しかし、私たちが生きるという行為自体が、その速さの犠牲になることは果たして望ましいのでしょうか。
時間の速さを求めることは、目的達成には必要かもしれませんが、それを生きるという意味に持ち込んでしまうと人間の幸福感を削ぐ原因にもなり得ます。
人生とは、単なるゴールに向かう直線的な道筋ではなく、そこに刻まれる瞬間の連続です。
瞬間という離散的なものであり、その打たれた点は過去から線となりつながる連続性でもあるのです。
速さに追われることで、私たちはその瞬間を見失い、人生を生きる本質を感じる機会を失うのです。例えば、夕焼けを眺めながらゆっくりと過ごす時間や、何気ない会話を楽しむ時間には、速さを求める場面などありません。
こうした「遅さ」は、私たちに安らぎと内面的な充実をもたらします。
「遅さ」を贅沢と感じることは、一見すると逆説的かもしれません。現代の忙しさの中で、時間をゆっくりと過ごすことは、余裕のある一部の人々だけに許されるように思えるかもしれません。しかし、実際には遅さを取り入れることは誰にでもできる贅沢なのです。
朝の静かな時間に一杯のコーヒーを楽しむ、自然の中を散策する、または友人や家族との時間を大切にする。これらの行動は、速さとは無縁ですが、私たちの心を豊かにし、人生に対する感謝を育むものです。
そして、この「遅さ」を尊重するという感覚は、私たちの人生観や幸福感をも変えていきます。
物事を成し遂げるための速さは、確かにある種の満足感を提供しますが、それが持続的な幸福につながるとは限りません。むしろ、ゆっくりと流れる時間の中でこそ、人間は自分自身と向き合い、周囲の世界との調和を感じ、真の充足感を得ることができるのです。現代の合理的な価値観が押し付ける「速さ」から一歩引いて、自らのペースで生きることこそ、私たちに本当の幸福をもたらすのではないでしょうか。
最後に、人生において速さを求めることが目的達成のための手段であると同時に、遅さを尊重することが幸福への道標であるということを改めて強調したいと思います。人間は効率や速さの中で生きる存在ではなく、時にはその流れに逆らい、ゆっくりとした時間を享受することで、豊かな人生を築くことができるのです。