解剖する場で自撮りをしてSNSへ投稿から見る尊厳や倫理観の自己承認へ換算について
解剖する場で自撮り写真を撮ってSNSへ!
解剖の場で若い医師が自撮り写真を撮影し、SNSへ投稿するという行為は、医療従事者としての倫理観だけでなく、人間社会における死者への尊厳をどう捉えるかという根本的な問題を含んでいます。
そんなことが行われたとTwitterでは炎上しています。
2024年の今はSNSにおける不謹慎なものへの怒りなど人間がどのようにあるべきかということが問われるような問題ある行為が自己承認への換算として行われています。そこには尊厳、敬意、倫理観、道徳観などの視座はありません。
『僕』自身、病理の仕事をしていたときは解剖をしていましたから、その行為についての心情的なもの、または実技的な部分の大変さも理解はしているつもりです。
医師は常に生と死の境に立ち会う職業であり、患者をはじめ、亡くなった方々と向き合わざるを得ません。そのため、医療に携わる者には、単なる専門知識だけでなく、死者への配慮や尊重という倫理的・人道的な責務が課せられます。しかしながら、今回の事例は、その大前提を大きく損なう行為として社会的にも非難を浴びる結果となったのです。
まず、医学・医療の現場で行われる解剖は、科学的探究や教育という目的があるとはいえ、生前の人格を持っている人の身体を扱う極めて厳粛な行為です。
社会学的な視点では、「人間の身体」はその人の人格や存在意義と不可分のものとされ、死後であっても尊厳を失わないと考えられています。これは、日本文化における「供養」や「先祖を敬う」精神にも通じる感覚であり、また哲学的にはイマヌエル・カントの「人間は決して手段としてのみ扱われてはならず、常に目的として扱われるべきである」という命題にも結びつくでしょう。
たとえ生命が失われた後であっても、その身体を雑に扱うことは、その人の人生を軽んじる行為だとみなされます。
次に、医師としての職業倫理の観点から考えれば、プライバシーや個人情報の保護といった具体的な側面に加え、何よりも「医療への信頼」を損ねる点が深刻です。一般の人々は、医師という職業に対して高い専門性と同時に、「患者を尊重する」「人間としての尊厳を守る」という高い倫理観を期待しています。
医療倫理学では、
「有害行為の回避(Nonmaleficence)」「善行(Beneficence)」「自律性の尊重(Autonomy)」「正義(Justice)」といった原則が重視されますが、解剖室での自撮りは、いずれの原則にも明確に反し、死者や遺族の感情を著しく傷つける可能性があるといえます。
生前の患者だけでなく、亡くなった方々も「人間」として尊重されるべきであるという根本的な視点が欠けているのです。
さらに社会全体からの視点に立てば、このような問題行動は、医師個人のモラルの低下だけではなく、医療全体の信頼を損なう重大な影響を与えます。医療は患者と医療従事者の信頼関係の上に成り立っており、そこには「死後もなお尊重される価値」があるという共通理解が不可欠です。
もし医療機関や教育機関が、こうした倫理観を共有していないならば、社会学的には「制度そのものへの不信」が広まりかねません。このことは、医師や看護師などの医療者を目指す学生たちへの教育にも重大な責任を生じさせ、医療関係者全体での倫理教育や情報管理の徹底が求められます。
また哲学的な観点では、人間の尊厳は生命が存続している間だけでなく、死後にも続くという考え方が、多くの思想家や宗教的伝統によって支持されてきました。これは「自己決定権の延長」や「人間としての尊厳を超えてはならない線」が存在するという考え方に基づいています。
解剖に対する死者への敬意を失った行為は、単に個人の道徳観が問われるだけでなく、社会の根幹にある「人間を大切にする」という価値観そのものを侵しかねないのです。
以上のことから、この問題は、医療に携わる人間の資質と倫理的判断力、その背後にある教育・管理体制の不備など多面的に検討されるべきでしょう。
一方で、SNSやデジタル技術の進歩が驚くほど速い現代では、誰もが手軽に写真や動画を発信できる環境が整っています。
だからこそ、情報発信者としての責任を強く意識しなければならず、それはまさに医療従事者の社会的責務といえます。死者を前にしたとき、人々が感じる畏敬や悲しみ、そして敬意こそが、人間社会を繋ぎとめる大切な感情なのではないでしょうか。
結論として、解剖の場での自撮り撮影とSNSへの投稿は、医療従事者が持つべき死者への敬意と倫理観に著しく反する行為であり、人間の尊厳や医療全体に対する信頼を損なう大きな問題です。
今後、医療機関や教育機関は倫理教育の強化と、SNSの利用に関するガイドラインを策定し、管理体制をより厳格にすべきだと考えられます。
しかし、こんなことまで明文化しないといけないものでしょうか……
至極当然のことのようにも思えてならないのです。
私たちが共有する社会の価値観として、「死者にも尊厳がある」ということを忘れず、命の尊重がどこまでも貫かれる医療環境を築くことが、未来を担う医療従事者の責務なのです。