Twitterで「ツイートが不快な方はブロックしてください」という人の孤独感
Twitterで「ツイートが不快な方はブロックしてください」と
いう人について
最近、「僕」は人々の孤独感が増加していることが気になりました。
この現象は、さまざまな要因に起因すると考えられますが、その一つが人間関係の希薄化です。
この気になったきっかけとしましてはTwitterを見ていて思ったのです。
たまに見かけるこんなツイート
「ツイートが不快だと思われる方はブロックしてください」
これは、そのままとっていいのか、そんな事ないよ!と言ってほしい、エクスキューズなのか、止めてほしいのか、ダチョウ倶楽部のネタの押すなよ、押すなよというものなのか……
そもそも、独り言のツールであるTwitterにそこまでの気を遣って使わないといけないなんて、ウンザリするわけですが……
本論文では、人間の孤独という概念について深く掘り下げ、つながり孤独、SNSの影響、友達や信頼の意義、そして関係性における適切な距離感の重要性について考察します。
人に配慮して言葉を選ぶ時代、自分を魅せる時代
SNSや誰でも見れる状態にある媒体に関していいますと、最近では「誰かにの配慮」がつもつきまとってきます。
これはとても息苦しい時代ですが、炎上というリスクを回避するために、このホワイト社会を生きるためには仕方のない作法なのでしょう。
そんな配慮に特化したペルソナをつけて他人を集めていくと「知らない知人」の集合ができあがります。
これがみんなが大事にしているフォロワーです。
しかし、この知らない知人は【いいね,RT】はしてくれますし、コメントもくれます。
でも、それだけです。つながっているだけなのです。
そして、それがbotではない、AIではないという保証がどこにあるのかもわからないのに一喜一憂します。
いまの人たちはそんな「つながり孤独」な人たちが多いのです。
つながり孤独とは、他の人に囲まれていても孤立感を抱くことを指します。
現代社会では、このタイプの孤独が一般的になりつつあります。その要因として、SNSの台頭が挙げられます。一方で、SNSは地理的制約に関係なく、あらゆる立場の人々とつながることができます。しかし、そのつながりは表面的であり、対面でのやり取りから生まれる深さや親密さに欠けます。
なぜならば、SNSでいいねをしてくれた人が困った時に助けてくれるのでしょうか?
そういった「it」と付き合っていると、今度は人を「it」として扱っていきます。
itとは、ヒトではなく物質的(交換可能性のもの)としてという意味です。
この概念はマルティン・ブーバーの「我と汝」で出てくる根源語と言われるものです。
これに慣れてしまうと、我という自分という人間は、他人を汝というヒトとして扱うのではなく「it」として扱うようになってしまうのです。
つまりは我は他人という人さえも、itとして扱い対象をみて体験して利用するに過ぎないものとして扱います。
本書では我と汝という関係は永遠ではなく時間の長い経過によって汝からitに変化するとありますが、ここで取り上げている人に関しては、「はじめから」itとして扱う人間になってしまう危険性があると言っているのです。
この文脈で、友達という概念を検討することが重要です。
真の友達とは、私たちの幸福に真剣に関心を持ち、考えや感情、経験を共有できる人物です。信頼と信念は、このような関係を築く上で重要な役割を果たします。SNSが主要なコミュニケーション手段となる中で、友情の本質が希薄になるかもしれません。人々は数多くの仮想的なつながりを持っていても、それらが必ずしも意味のある関係につながるわけではありません
さらに、人のつながりとしてお金があればこれを回避できるかと考えては、富裕層における孤独感についても考慮する必要があります。
富裕層の人々は、他人の動機を疑問視するために友人関係を築くことが難しくなることがあります。つまりはお金を持っているがゆえにその親しくなる近くなる理由を常に人に疑心暗鬼になって付き合う人間を決めていかなければなりません。
その結果、金銭的な成功にもかかわらず孤独感を経験することがあります。
ほどよい距離感
関係性において適切なバランスを見つけることが、孤独感を軽減する上で重要です。個々人の距離感は、あまりに近すぎず遠すぎすぎない適度な範囲に保たれるべきです。距離感を適切に保つことで、互いに信頼し合い、共感し合える関係が築かれ、孤独感を緩和することができます。
例えば、親密な関係を築くためには、相手との対話を大切にし、相手の感情や考えに対して共感を示すことが求められます。一方で、適切な距離感を保つことで、相手のプライバシーや独立性を尊重することも重要です。人間関係が適切な距離感で保たれることで、お互いの成長や自己実現が促されると言われています。
つまりは家族や恋人、友人などはその記号に意味があるのではなく人と人の間にある関係性とそれを示す距離感に意味があるということです。
結語
最後に、今後の課題として、どのような人間関係が最も良いとされるか、そしてそれを実現するためにどのような手段が有効であるか、という問題に取り組むことが求められます。本論文では、この問題に対する答えを完全に提供することはできませんが、少なくとも孤独感の原因や対策についての理解を深める一助となることを期待しています。
今後も、人間関係や孤独感に関する研究が進められることで、より充実した人間関係を築くための知見が得られることになるといいなと考えています。
そして、それが現代社会における孤独感の解消に繋がることを期待しています。
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