昭和任侠映画から「龍が如く」まで、ヤクザ美学の進化
ヤクザというか悪の世界というのはいつの世も表の世界でも美化された世界としてあらわれてくる
いまでいうと、龍が如くでしょうね
そこから火がついて元ヤクザが主夫をする漫画などが人気になっていきます。
少し前だと昭和40年時代でしょうか
東映映画の任侠映画が出てきて高倉健がスターとして出てきたときに北島三郎の兄弟仁義が人気になっていきます。
このころ、この映画に傾倒したのはブルーカラーの工員や水商売のお姉さん、学生運動のエネルギーのある人たちだったのです。
このようなヤクザや悪の世界の美化は、時代背景や社会のニーズを反映していると言えます。昭和40年代には、経済成長期における労働者階級の苦労や連帯感が強調され、任侠映画を通じて兄弟仁義や義理人情といった価値観が共感を呼んだのでしょう。一方、現代における「龍が如く」の人気は、個人主義が進む社会において、強いリーダーシップやコミュニティの絆を求める声の表れとも捉えられます。また、現代の視聴者層は多様化しており、従来のブルーカラー層に加えて、若年層や女性層など幅広い層が含まれている点も特徴的です。
さらに、ヤクザをテーマにした作品が繰り返し人気を博す背景には、現実社会における不安やストレスからの逃避、あるいはヒーロー像の再構築への欲求があるのかもしれません。しかし、現代では社会の価値観や倫理観も変化しており、以前とは異なる視点やテーマが取り入れられることで、同じテーマでも新たな魅力が生まれているように思われます。
このように、ブームが繰り返される中で、その様相が変化していくことは、時代の流れや社会の変化に対応してコンテンツが進化している証拠とも言えるでしょう。
では、現在、龍が如くに傾倒するのはどのような層なのでしょうか?
おそらく昭和40年とは異なる傾倒する層でしょうね
ブームは繰り返されるといいますが、その様相は少し異なってくるのでしょう
ただ、変わらないのは何かの理不尽にやはり囲まれていることやその代替としてのものなのかもしれません。
その代わりのエンターテイメントというのは今も昔も変わらないのです。
サーカスというものは呼び方は違えど必要なものなのでしょう