SNSポータルサイトの機嫌をとる表現者
ここ最近のTwitterでの表現というものにおいて、あまりにもセンシティブな表現というものは制限されていて、投稿はできるもののシャドウバンというものでそのアカウントの表示制限がされたりする現象があります。
「センシティブ」な表現とは、まぁ、直球ストレートな言葉を使うのであれば「エロ」ということです。
しかし、これらのエロというものも一種の表現の種類であるというのは方便かもしれませんが存在しているものであると言いたいです。
しかし、ここ最近はこのSNSでの表現においてはそのセンシティブな判定をおそれてその表現には制限がかかっています。
これが創作活動においていい影響を与えるか、悪い影響なのかというものは、この瞬間に断言できるものではありませんが少なくともその欲望のベクトルのちからは制限されていると言っても差し支えないでしょう。
本来は表現したいものがそのセンシティブな判定をおそれて本来のやりたいことをやらない、できないという人たちは少なくありません。
この制限によってそのセンシティブなイラストの傾向も変化してくるのも面白いものです。
そのセンシティブな判定があまり厳しくなかった「Twitter」と呼ばれていたSNSでは様々なセンシティブなものが跋扈していました。
しかし、現在においてはその影もありません。
代わりに現在においてX 、前のTwitterでイラストが投稿されているのは、I字バランスの女の子(片足を持ってパンツなどの表現、またはAIによる判定をさけるためにタイツを履かせるなどの涙ぐましい努力のもの)、今では脇をその性癖として扱って投稿するイラストやコスプレイヤーの写真などが増えてきました。
このような制限というものは一種の流行り廃りのなのですが、それによって同じような構図やキャラクターなどの性癖みたいなものが形骸化されてマンネリと移っていくのが、ここ最近のSNS、とくにX(Twitter)の傾向によく見られるかと思います。
このようにひとつのポータルサイトがその表現のはばを狭めている
ましてや、その表現の主戦場となっているのはこのTwitterなどのSNSなのですから……
ポリコレのようなキャンセルカルチャーに付き合ってその言語での表現やイラスト、写真などの表現がその自由さを失っていくのはこれからどのような問題を孕んでいるのでしょうか
この問題をどのように抵抗していくのか
そもそも問題として捉えることなく寄り添っていくのか
ポータルサイトによっての制限に気づき、どのように自分の表現をコントロールするのか
それが大事なことだと思います。