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ミドルエイジ・クライシスというオッサン・クライシス

ここ数年、40歳代になって思うことは、"イケイケ"ではなくなった。

これには幸にも不幸にも色々なことが重なって考えることが多くなってのことで。

同い年の人が死んだり、自分の身体が無理がきかなくなってくること、子供が産まれて大きくなり自分の時間がとれなくなること、ある意味の自由さ、奔放さが消えていく、周りの友人や独身の人たちの羨ましさが少し感情として覚えたり……

いわゆる、ミドルエイジ・クライシスというものであります。

昔の言葉で40代は不惑というらしいのですが、「何を持っての迷わない」なのか、いまだにわからず……
いえ、少し朧げには見えてくるような感覚があるのです
それは諦めるということ

少しの妥協であります

いえ、何も悲観的なものではないのです

あぁ、いまの自分はこういうものなんだなという少し冷めた目で自分を見るというものです。
幸せとは何かというと「小恍惚を少しずつ重ねていくこと」これが『僕』の定義であります。
小さいことでも重ねていく。
大きな挑戦、大きな欲望みたいなものを諦めるというものではありません。
ムーンショットは"できない前提"で持つものかもしれませんが、『僕』にとっては少しずつ重ねていけばいつかは……みたいな感覚でもあります

つまりはミドルエイジ・クライシスを回避するためには
「自分のやりたいこと、好きなことを小さくてもいいから積み重ねること」
これが大切なのであります。
少し義務感を出すのであれば小さい目標をたくさん作ること、それをこなしていく感を出してやっていくこと。
なんか目標なんてカッコ悪いなぁ、そういうのではなくもう少し抽象的な雰囲気を欲しているのだけどなぁ。なんて、これを読んでいる、オッサン・クライシスの人もいるかもしれません。
しかし、そういうものをある程度のところで回避はしておくべきです。

どんなに小さいことでもいいですから自分の好きや落ち着くことを大切にするべきなのです。
「べき」などという一般論では忌み嫌われるような語彙を用いていますが、『僕』にとってはそれだけ言い切ってもいい伝えたいことなのです。

「それができれば苦労はしねーんだよ、蟻んこよ」みたいなHUNTER×HUNTERのネテロ会長のようなセリフを言いたくなるかもしれません。
しかし、自分が好きなこと、やりたいことを少し小さくしてそれをやるくらい、いい大人には造作もないことだと思っています。

好きなことがわからない? 見つからない?
友達はいないし、その作り方もわからない
そんなイマドキの若者はいいますし、いい歳をしたおじさんも言う人がいます
それはまた少し違う機会に譲って書いてみようと思いますし、『僕』のnoteをだらっと読んでいただければ見つかるかもしれません。
なにせ、約900記事くらいあります。
『僕』も覚えてないことのメッセージがあるくらいですしね。

オッサン・クライシス
YouTubeでも様々なインフルエンサーもミドルエイジ・クライシスについて言っていますからね。
きっと、麻疹みたいなもので誰でも一度はかかるものなのかもしれません。
人間の通過儀礼なのかもしれません。
人生は非常に厳しく、短い。されど、なお生きるのは長く楽しいものであります。


*最近は時間がなくて、生成AIでの補完文章が多かったのですが、こうやってすべて手書きで書いてみるとこれまた珍味な散文になって非常にいいのかなと思っています

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