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【Chapter1】もしJリーグ参入を目指すサッカークラブの新人マネージャーが「リピート通販ビジネス」を学んだら

プロローグ

方南町ストライカーズの朝は早い。

午前6時過ぎには、グラウンドに一番乗りの影が現れる。
現在、メインで使っているグラウンドは、中野富士見町駅から徒歩10分ほどの場所。市民公園に併設された人工芝のグラウンド。

この時間に間に合うのは、近隣に住んでいる選手に限られるのだが、この日は、高卒ルーキーの時任雪也だった。
全国大会には高校3年間で一度も出場したことはなかったが、並外れたスピードとテクニックがあり、有望な快速フォワードだ。
今シーズンの開幕前、期待が持てる象徴のような存在。

黒いウェアは高校時代のものだろう。背中にかすれたローマ字で校名が入っている。
白地にチームカラーと同じ朱色が入るスパイクを履き、念入りにストレッチをすると、一瞬動きを止め、こちらを一瞥した。

ただ、話しかける素振りすら見せず、再び身体を動かす。
まるで、自分の筋肉と対話しているようだ。

関東サッカーリーグは、国内リーグの最高峰JリーグのJ1を頂点に数えると実質5部相当になる。
全選手がアマチュアとはいえ、鍛え上げられた選手たちの肉体は、サッカーというコンタクトスポーツの厳しさを物語る。

シーズンが近いとは言え、彼らがアマチュアであることに代わりはない。

早朝練習に集まれる選手は、チームの登録メンバー33人のうち、半分にも満たない。

ほとんどすべての選手がアルバイトやパートタイムの仕事、または会社員をしながら生計を立てている。

監督やコーチはいるが、用具係やいわゆるホペイロはいない。基本的にはすべて自分たちでやる。
チーム運営は合議制、予算は常に厳しいがそもそも関東サッカーリーグに所属するすべてのチームがほぼ例外なく同じだ。

それでも、チームはレベルアップすることと、1つ上のカテゴリーであるJFL昇格を目指し、声を枯らし、仲間を鼓舞し、己を信じて、力の限り常に90分走りきる。

それがこのリーグであり、このチームだ。

ストライカーズには発足以来のチーム哲学もあった。
1979年にストライカーズの前身である東京アルミ製鋼サッカー部が設立された直後に作られたと聞くが詳細は分からない。
所説ありつつも、当時の所属メンバーが決めたのだろう。

(1)攻め続けろ

(2)最後まで絶対に諦めるな

(3)誠実であれ、そして紳士たれ

(4)改善し続けろ

(5)(1)から(4)を実行しろ

これがこのチームの哲学で、40年以上も続くチームの歴史の根っこ。
剣持紗希が、3年前、自分の父親からこのチームのマネージャーに任命さ
れたときに聞かされたのがこのチーム哲学だ。
「このチーム哲学だけは変えるな。それ以外は何を変えてもよい」と紗希の父親は言った。
それはちょうど今くらいの時期で、シーズン開幕を控える肌寒い朝だった。

背後からスパイクの乾いた音がする。
振り返ると、第2陣としてやってきた選手たちの姿が見える。
今年もいよいよ、約半年間におよぶシーズンが開幕する。

(続く)

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