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サードマンおじさん、現る!
雪の降る公園で半分凍ったお弁当を食べるのはやめたほうがいいですよ。お腹を壊しますから。どうも、円狐(まるこ)です。
前回、記憶に残っているバイトの話をしましたが、今回はその後、どうやってデザイナーの道にたどり着いたかのお話をしようと思います。
専門学校を中退して(話が前後してしまいますが、鈴鹿峠を自転車で下った半年後には中退していました)、バイトでなんとか生活をつないでいたものの、ついに生活費が尽きて実家に戻ることになりました。次にどうしようかと考え、安定してそうな郵便局でのバイトを始めました。時給は安かったけど、続けられる仕事が必要でした。同じ職場の「ゆうメイト」(郵便局ではアルバイトをこう呼びます)で、夜はバーの店長をしている50代のおじさんと仲良くなりました。この方とはよく仕事の合間に話をしました。昔のバンド活動、映画、デザインについての話など、いろいろな話を聞くのが楽しかったんです。(以下、ゆうメイトバー店長おじさん)
その会話から影響を受けて、「自分も何か作ってみたいな」と思うようになりました。そこでローンを組んで初めてのMacを購入。まずは専門学校で少し触れたAdobe IllustratorやPhotoshopを思い出しながら、自分の名刺を作ったり、心霊写真やUFO写真を捏造して遊んだりしていました。少しずつパソコンの扱いに慣れてきた頃、ちょうどインターネットが普及し始め、自分のホームページを作ることにも挑戦しました。
その話をゆうメイトバー店長おじさんに伝えると、「ちょうどお店のホームページを作りたかったんだ」と言われ、お願いされました。これが、僕にとって初めての「依頼」であり、記念すべき最初の仕事となったのです。今思えば、このおじさんこそが僕にとっての「サードマン」だったのかなと思います。
ちなみに「サードマン」とは、登山家や探検家が危機的状況に陥った際、誰もいないはずの場所で助けを与える存在のことを指すそうです。奇跡的に命を救われるような現象のことを言うそうです。(wiki調べ)
その後、その話が広まり、職場の同僚からも「結婚式のウェルカムボードを作ってほしい」と依頼されるようになりました。「いやいや、そんな大事なもの、素人の僕が作るなんて…」と断ったのですが、以前僕が作った自作の名刺を見て「あんな感じで作ってほしい」と頼まれたんです。残念ながらその時の作品はもう手元に残っていませんが、その後も口コミで年賀状やチラシの依頼が来るようになりました。
さらに仕事以外でも活動的になり、昔から好きだったクラブやテクノのフェスにもまた足を運ぶようになりました。「やっぱり、音楽や芸術っていいな」と感じ、人々の感情を揺さぶる作品を作りたいと本格的に思うようになったんです。
ところで、鈴鹿峠の後の話をまだしていなかったなと思い出しましたが、その話はまたいずれ…。ちょっと待って、また「そのうち」って、話が前後してるし、まだ放置してる話がいっぱいあるじゃん! 頭がおかしくなりそう! いつの間にか円狐につままれている! とお嘆きのあなた。
そうですよね、では、また次回にお会いしましょう。
円狐(まるこ)