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じいちゃんの日記

2022年8月14日じいちゃんが死んだ。


朝7時45頃姉から連絡があった。
ちょうどその日に僕はじいちゃんの家に行く予定だったので、準備をしていたところだった。

自然と涙がこぼれていた。いや、それよりもっと嗚咽して泣いていたと思う。

数分して冷静になり、旅の身支度をし、東京駅に向かった。
行き先は青森だ。





小さい頃から青森は僕の家だった。

住んでいるのは神奈川だったのだが、3歳くらいから、夏休みなどの長い休みに入ると青森に1ヶ月ほど滞在するのが夏の過ごし方だった。

両親から離れて過ごすことはもちろん寂しさはあったが、じいちゃんばぁちゃん、そして、いわゆる叔母さん、母の妹が青森の家にはいたので、とてもわがままができるので楽しかった。

その中でもじいちゃんはとびっきり僕に優しかったし、甘かった。怒られたことはほとんどない。

じいちゃんは子供が僕の母と母の妹の女だけだった。養子を取ろうと計画していたぐらい男の子が欲しかったらしい。
僕は姉が2人で待望の男の子だったことが理由ではあるとは思う。

もちろん僕もじいちゃんが大好きだった。

じいちゃんとばあちゃんは床屋をやっていたので、一日中入り浸ってじいちゃんにくっついていた。

床屋の朝は早い。出勤に合わせて6時半に起き、家から床屋に着くと、じいちゃんが毎朝飲むリポビタンDを少しもらい残りをじいちゃんが飲む。

髪を切るときはソファーでおとなしくしているが、たばこを吸いに外に行くときも僕はついて行き煙とじいちゃんが見る空を眺めていた。じいちゃんのタバコの匂いも大好きだった。

じいちゃんはいろんことを経験させてくれた。
いろんなとこに連れてってくれた。海、山、川。釣りや囲碁将棋…。とにかく楽しいことを僕に教えてくれたんだとおもう。

一番の思い出は山を買って山小屋を作ってくれたことだ。僕らを楽しませるために山奥の土地を買い仲間を募ってコテージのような家を建ててくれた。山を少し降れば川があり、そこで水を汲みトイレは簡易で臭かったりしたが、山小屋の二階を登れば海が見える。そんな最高な家を建ててくれた。最高だった。最高のじいちゃんだった。





僕が小学3年生の時のある夜。

おじいちゃんは夜。急に、呼吸が激しくなり脂汗をかいて、救急車で運ばれた。

骨髄小脳変性症という病気だった。よくわからない病気だったが、説明を聞くと徐々に骨や体が動かなくなるという病気らしい。


数ヶ月入院したあと、それからのじいちゃんは僕が好きでついていってたタバコをやめ、少ししか飲まなかった酒を飲まなくなり、数年後経営してた床屋を辞めた。
お喋りが好きだったじいちゃんの話が少し聞き取りづらくなっていた。

「髪を切るしか出来ない俺は病気で動かなくなったら何も残らない。」


床屋を辞めた5年後、元気だったばあちゃんが亡くなった。

膵臓癌だった。膵臓がんは見つかりにくく、病院に行った時はステージ4?5?で、手の施しようがなかった。

徐々に体が悪くなるじいちゃんの面倒を見ていたばあちゃんが先に死ぬとはもちろん思わなかった。

入院中だったじいちゃんにばあちゃんの死を伝える役目は僕だった。その時はもうばあちゃんは灰になっていた。

ばあちゃんが死んだよ。

もちろん夫婦であったばあちゃんが亡くなったことで感情が揺らぐことはわかっていたが、それよりも数十年間床屋を共に営み四六時中一緒にいた人。もうそれは誰にも想像ができない関係なのだと思う。

伝えた僕の感情はもうぐちゃぐちゃで号泣だった。が、じいちゃんは

そうか

の一言だった。

次の日の朝6時、トイレに起きた僕。誰も起きていなはずなのに、廊下からガツッガツッと音が聞こえた。
これは歩行器を使って歩くじいちゃんの音だった。

家に造られた祭壇に、一言

ありがとう。




毎年帰っていた青森にもコロナで帰れなくなり久しぶりに帰ろうと思っていた。じいちゃんは死んだ。


僕に遊びの楽しさ教えてくれた、床屋で楽しそうにお客さんと話すじいちゃんはすごくかっこよかった。じいちゃんのタバコの匂いが好きだった。じいちゃんが大好きだった。



遺品を整理しているときにじいちゃんの日記が見つかった。誰も見たことのない表紙が皮でb4サイズよりもちっちゃいメモのようなノートだった。

自分のことが書いてある遺書のような物に少し読むことにワクワクした、


開いてみると、汚い文字で読むのに本当に苦労した。そりゃそうだ、じいちゃんは誰にも読まれることになるとは思っていない。

いくつか読んでいく間にわかった。

そこに書いてあったのはキノコの在り方と、どこに釣りに行ったかの趣味日記だった。

おいおい、じいちゃん

いやいや、期待した僕が勝手に落ち込んだだけなのだけど。

僕たちのために作ってくれたと思っていた山小屋のことも、ほぼ業務的な感じに描かれており自分のために作った山小屋であることがわかった。
じいちゃんが僕たち孫にやってきてくれたことの趣味は実は自分が一番楽しむためにやっていたことがわかった。

勘違いだった。少し悲しい気もした。
しかし人生とは自分のために全うする物だ。当たり前だ。そりゃそうだよなとなぜか納得できるじいちゃんの日記でもあった。



この森のここにキノコがある。

床屋の休みの日だったから、車で80キロ走って釣りに行った疲れた。

今日は釣り、車で100キロ走った。疲れた。

孫が来た。車でかなり走ったが、疲れなし。

町内会の集まりに数ヶ月ぶりに会った孫と参加した。

楽しかった。

一文だけ感情がある日記に嬉しくなった。






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