【毎日読書感想⑩】嫌われる勇気
少し前にドラマ化されるなど話題になった一冊です。
なぜこの本を購入し、読んだのか、理由やきっかけは記憶にありません。
この本は、哲学者(哲人)と青年の対話形式で物語が進んでいきます。
アドラー心理学に懐疑的な青年が感情にまかせてさまざまな問いかけ、怒りを哲人にぶつけますが、哲人が根気よく、誠実に答えることで、青年はアドラーの考え方について少しづつ学び、心もほどけていきます。
青年の心の変化とともに読者もアドラー心理学について徐々に理解を深めることができるのではないかと思います。
さて、私が印象に残ったのは以下の部分です。
子どもが勉強するのかしないのか。あるいは、友達と遊びに行くのか行かないのか。本来これは「子どもの課題」であって、親の課題ではありません。(P.140 )
われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題を分離していく必要があるのです。(P.140)
他者の課題には踏み込まない。それだけです。(P.140)
この「課題の分離」の大切さを知ったとき、あることを思い出しました。
あるテレビ番組で、フランス人の親子がインタビューされていました。寒い日に子どもが薄着で出かけても、親は特に注意したり、無理やり上着を着せることはしないそうです。その親ははっきりこう言いました。
「体調を崩したとしてもそれは子どもの問題であって私の問題ではありません。」
これが個人の価値観なのかフランス人特有の価値観なのか定かではありません。かなり前の話なのですが、とても驚いたのでよく覚えています。
まさにこれこそアドラー心理学の「課題の分離」だと、感じました。
子どもが風邪をひくと親が面倒を見ることになるので、世話をしたり、仕事を休んだりとかなり影響が出てくるはずです。それでも、それは子どもの選択によってもたらされた子どもの責任である、とこの保護者は考えているのでしょう。
さすがに、ここまではっきりと割り切ることはできませんが、多少影響はあっても子どもの選択を尊重する大切さや、子ども以外でも他者の課題にあまり立ち入らないように気に留めるようになりました。
ちなみに、誰の課題なのかを見分ける方法は、シンプルで「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えることだそうです。