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ルールと親切のはざま

うちの近所には、
ボタンを押せば歩行者信号がすぐ青になる
きわめて見通しの良い横断歩道があります。
本当に押したら2秒で変わります。見通しは抜群。

朝6時のジョギングの時に、私はここを渡ります。
6時台、まだ車の往来はまばら。
でもゼロではなくて、断続的に何台か通るような、そんな時間帯。

その道路を渡る時、歩行者信号を青にするボタンを
押して渡るのか、押さずに渡るのか。

今日はそんな小さな選択について書いてみたいと思います。


歩行者信号を押す私

引っ越して間もない頃、私は当然のようにボタンを押して、歩行者信号を青にしてから渡っていました。
押したら即信号が変わるので待つ必要もないし、
交通量がまばらとはいえ、交通ルール遵守で安全に渡れるほうがいいよね。
と、真面目な気持ちで押して渡っていました。

さて、何日かジョギングをしていると、私の他にもお散歩やジョギングの人たちとすれ違ったり追い越したり追い抜かれたりします。

その中で、ボタンを押さずに赤信号で渡る人が時々います。

車が来ていない時は、面倒なのかな、という感じで眺めていましたが、
車を何台かやり過ごして赤信号を渡る人もいます。
そんな場合、むしろ歩行者信号を押したほうが早く渡れます。

そんな光景を「ボタン押せばいいのになあ・・・」と思った瞬間、
「あっ、違う!」と思いました。
それは、きっと、「車に対する思いやり」なのです。

思いやりの歩行者

私がしていたルール遵守、車の視点から考えてみます。

私が歩行者信号を青にして渡ったということは、
言い換えると、車の信号を赤に変えてから、渡っていました。
運悪くそこを通る車は、赤信号で止まらされることになります。

交通量も歩行者もまばらな道路で、
横断歩道の押しボタンを押されたところに通りかかったたった1台の車は
「タイミング悪いなあ・・・」と思うに違いありません。

歩行者信号は、すぐ青になるのですが、
赤に戻るまでは少し時間がかかります。

車視点で言い換えると、信号が赤に変わって停止する羽目になり、
ジョギングの1人がさーっと渡ってしまったあとは、
人気のない横断歩道で少し待たされる、ということになります。

この時、ジョギングの人がボタンを押していなければ、その1台の車はそこで止まらずに気持ちよく通過できるわけです。
朝のまばらな交通量。見通しが抜群に良い横断歩道ですから、車1台をやり過ごせば、歩行者は赤信号でも危険なく渡れます。

ボタンを押さなかったその人は、車を止めるのではなくて、自分がちょっと待とう、と思ったんだと思います。
それに気がついて、なんだか、ほっこりした気持ちになりました。

まとめ”それで私はどうする?”

歩行者である私の朝のジョギング中の選択肢としては、
この2つがあるわけです。

A:自分が、目の前に通りかかった車1台もしくは2〜3台ほど通り過ぎるのを待つ
B:車の信号を赤信号にして、たまたま来た車たちがしばらく止まるようにする

ルール遵守で誰も文句がいえない選択肢はBでしょう。

だけど、私は最近、その人を見習って、Aを選んでいます。

もちろん、
基本的には、押しボタンは絶対に押して青信号を渡るべきです。
押さない方が危ないし迷惑になることがほとんどだと思います。


だけど、交通量がまばらで道路の見通し抜群という条件が揃った時、
「ボタンを押さない思いやり」というものが存在することが、私にとっては大きな発見でした。

この横断歩道の話は、一つの出来事です。

私が発見したのは、ルールを守らない人がいる時、そこに小さな善意が隠れていることもあり得るんだなあ、ということです。

ルールを守らない人はつい批判したくなります。
批判は正当。
ルールを守ることは人として大切なことです。

だけど、臨機応変な小さなあたたかさも存在し得ます。
それを発見できるとなんだか幸せな気持ちになります。

私自身そんな親切心を実践していきたいなあ、と思ったのでした。

自分が歩行者の時に車側の気持ちに配慮する、
そういう思いやりの心を大事に行動していきたです。


終わり。

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