見出し画像

過敏性腸症候群と生きていく。


心療内科でうつ病と診断される少し前、内科で「過敏性腸症候群」と診断された。
受け入れるまでに時間はかからなかった。

入社の数日前から休職に入るまでの約3ヶ月間、私はお腹を壊し続ける日々を送っていた。
今思えば、入社前から自分でも自覚しきれていないほどのプレッシャーと不安を抱えていたのだと思う。

生ものに当たったわけでもない。お寿司は好きだけど診断されてからほとんど口にしていない。狂ったようにサーモンを食べていた時期だってあった。賞味期限切れを食べたわけじゃない。ごく普通の食事をいつも通りしていただけ。

乳製品も怖くなり、毎日のように食べていたヨーグルトも、不安で眠れない夜に飲むホットココアもやめた。お気に入りのカフェで頼むカフェモカも、メニューをちらりと見て立ち去るだけ。外食はできなくなった。

朝は会社で腹痛を起こしたくないから食べない。
会社にいると食欲が後退するためお昼は食べたり食べなかったり(次第に新入社員が昼ご飯を食べないと社内に広まった)夜は次の日に響くからなるべく食べたくない。
気付けばこの食生活が当たり前になり、それ以外の選択を取ることが怖くなった。

新入社員がゆえ外出も多く、県外に出張へとただでさえ苦手な電車に揺られることも頻繁にあった。電車に乗りたくないから地元を選んだのになぁ…とぼやく暇もなく過ぎていく日々に、「社会人ってすぐに一日が終わるからね」と上司からの言葉。そういえば、今日も昨日も空をゆっくり眺めていない。こんな毎日がこれから、ずっと。

6月に入り、心身ともに体力が追い付かなくなり、休む日が少しずつ増えた。欠勤の連絡を入れる方が出勤するよりもしんどくて、またお腹が痛い。

4月から数えて6回目の通院で「過敏性腸症候群」と診断された。
同じ病気を家族が患っていたため、何となく予想はできていた。

それでも私は会社に行かなければならない。
腹痛なら薬を飲んで行けばいい。
お腹を壊すなら何も食べずに行って、休日に食べればいい。
私より眠れていない人なんて沢山いる。睡眠だって休日に沢山寝ればいい。
趣味も仕事が落ち着いてからすればいい。
私は新入社員だから。仕事ができていないから。
どうしても入社したくて、何度も挫けながら挑んで内定をもらった会社。
頑張らないと、笑っていないと、明るくいないと、また嫌われてしまう。


「体調悪いなら途中で来ても迷惑になるだけだから」


休んだ次の日、別室で上司に告げられた。

6月にしてはクーラーが効きすぎている。
いやみんなにとっては当たり前なのか、でも私は腹巻もカイロも付けてまだ長袖で、結局私は迷惑者で、何もできないのに休んで、じゃあなんでこんなにずっとお腹が痛いの、ご飯も食べれない、好きなこともできない、むしろ嫌いになる、誰かに相談したって「仕事は慣れだから」「もう大人なんだから」と言われる、社内ではいつも誰かが誰かの悪口を言って笑っている、私も言われてるかもしれない、変に真面目だから「気にしない」ができない、私しか私を助けられないのに、私は何もできないわたしがとてもきらい。

今にも落ちそうな涙を堪えて「申し訳ございません」と頭を下げる。私は大人だから泣かない。泣けない。机の下でズボンをぎゅうっと掴む。
今の私は入社前、いや、幼い頃から想像していたOLファッションよりずっとずっとずっと遠い。


6月の下旬、例年より暑い梅雨の最中。
路上にしゃがみこんで私は嗚咽していた。

通り過ぎていく人々の足が残像に見えるのは朝だからか、止まれ止まれと願っても無情に流れていく涙で景色が霞むからか。
泣いているのがバレないように靴ひもを結ぶフリをする。パンプスなのに。

しゃがみこんだまま上司に電話をかける。
あと少し歩けば会社が見えるのに足が動かない。腹痛で全身に力も入れられない。電話越しでも社内の雰囲気が伝わる声のトーンに怯えながら何度もすみません、すみません、すみませんと繰り返して電話を切る。

マスクは見るに堪えないほどビショビショだ。
こういう時に限ってスペアを持ってきていない。数枚残っていたティッシュで雑に拭い、なんとか立ち上がってコンビニに向かう。いつもは買わない鼻セレブを手に取り、なるべく店員さんと目を合わせないよう会計を済ます。ハツラツとした「ありがとうございます!」の声に見合った返事ができない。また泣きそうになる。


近くの公園に行き、端のベンチに腰を下ろす。
いつもダンスの自主練習をしていた場所。
この時間は人が少ない。

会社に行かなくていい安堵感とまた休んでしまった罪悪感でさっき以上に涙があふれてくる。
鼻セレブの肌触りが優しくて、余計に。

一時間半ほど太陽の光と風を浴びた。久しぶりに空をゆっくり見上げる。雲の流れは遅そうに見えて案外早い。額には汗がうっすら流れる。
あんなに日焼け対策していたのに、今日は一度も日傘をさしていない。日焼け止めも塗っていない。そんなのどうでもい、とさえ思った。

自宅に戻ると母親がいて、安堵でまた涙が止まらなくなる。この日はとても喉が渇いた。

家族の助言を受け、私は休職することを決めた。2ヵ月、のちに5ヶ月目と延びていく休職を。


マスクが暑苦しい季節から、良い感じに保湿される季節へと移り変わった。

過敏性腸症候群はまだ治っていない。きっとこの先も、私はこの病気とうつ病の両方を抱えて生きていかねばならない。いつ来るか分からない腹痛に怯えて、日々の食事を考える毎日。好きだったチョコレートたった一粒で胸やけするほど、胃は弱くなった。今日もお昼に振りかけご飯を食べただけで気持ち悪くなり、3時間寝込んだ。


ほわほわのクリームを乗せたココアが飲みたくなるのは、今日が寒いからってことにしておこう。











いいなと思ったら応援しよう!