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美沙の自己肯定感の源ってね、な話。

小学校での授業が
4社の新聞社に
取材いただけました。

朝日新聞

毎日新聞


東京新聞

神奈川新聞
…は電子版しかないので
取れてないけど。

神奈川新聞は
まさかの一面。

どうかこの先生との
授業が
いろんな人に届いたらいいな。

クラファンまだ
続いています。
よろしくお願いいたします。

たくさんの子どもたちに
届いてほしい。

そう願ってやまないほどに
美沙のこの自己肯定感の
源ってねって話を。

美沙は
ちょうど18歳の頃、
大荒れして
メンタルも大いに崩れた
そんな時がありました。

高2の3学期に、
ふとしたきっかけで
学校に行けなくなってしまった。

おお。
ちょっぴり狼狽えつつ、
なすがまま。

行きたくないなら
行かなくていいよ。

そうちょっと腹括ってみて。

で。
3年の新学期に、
面談で
自分の口から
学校を移る、と
先生に伝えて。

近場の別校舎へ
転籍しました。

まぁでも、低空飛行。

夏休みに入って
ドロドロに落ちてるのをみて
流石にこれはまずい、と
夜のドライブ連れ出したりして。

AO入試も控えていたけど

ほんとに自信なくてね。

美大の入試作品なんか見て
美沙はここまでできない↘️って。
まぁほんと。
重たいったらありゃしない。

いやいや、
できなくて当然じゃん?
そんな習ってないし。

でもあなたが描いてる絵は
ママ好きよ。

なんてこと、
絶望の淵にいる
この子にゃあ
そう簡単に届かないわけで。

でも、なんとか無事
それを乗り越えて
AO入試は合格して。

ほっとしたのも束の間。

まだ落ちてる状態でありながら
何とか学校には通ってた。

で、3学期入ったとき。

髪をバッサリ切った途端。

ピューんと上向き⤴️

今日は誰々と写真撮ったとか、
今日はこんなことあって
楽しかったとか、
それまでの
ズンドコ生活はどこへやら。

キャンキャン、
子犬のように
楽しそうに日々を話す。

はーよかった・・・
にはならない母よ。

おうおうおう。
ちょとまてぇいっ。

その上がり具合、
どうなのかしらって
壁から覗くていで
そんな様子を伺っていたところ。

ええ。
その予感はビンゴっ!

ある日学校でパニックを起こす。

これまで貯めていた
マグマを噴き出すかの如く
泣き叫んだと
学校から連絡があり。

取り敢えず帰ってきた本人は
ケロッとしてたけど、
まぁほんと、
そうじゃないだろうなと思っていたら
案の定その日を境にまた
学校に行けなくなった。

みんなが怖い。
それまで溜めていた
先生に対する不満も。

だからみんなが休みの
土曜日に登校してたな。

先生もそこは
わかってくださっていて
付かず離れずで
見てくださっていた。

で、その時の思いはこちら

で。
卒業式はイヤーマフしながら
何とか参加。
途中ボロボロ泣いてることも
あったっけな。

で。
信頼していた先生に
紹介してもらった
心療内科へ行ったけど。

とても当たりの柔らかい
薬は出さないという
そんな先生の言うことは。

「自分が嫌いだと思うなら
そんな自分を抱きしめてあげてね。
よくやったねって言ってあげてね」

・・・に号泣してる、母。

ええ。
それ、私のカウンセリングかっ
ちゅうほとに
私が号泣している傍ら。

うふふと言う顔で
笑ってる美沙。

診察室を出て
よかったねぇって
ニコニコした母をよそに
ぷりぷり怒ってる美沙。

え?
どう言うことかってね。

「美沙は嫌いな自分は
ほんとに大っ嫌い。
そんな自分に大好きって
言うくらいなら
好きな自分に
もっともっと好きだって
言ってあげたいんだよっ!」

と、えらくご立腹でした。

ほぉぉぉぉ。
なるほどね。

多分ここが
昭和と平成の
価値観の差、なのかねぇ。

自己肯定感って
ついついマイナスなことを
覆い隠して
プラスな面を
伸ばしてあげればいいと
ずーっと思っていたけど。

そうじゃないのね・・・

ってところから。
よくよく考えたら、
私自身は
嫌いな自分に対して
思い切り卑下して
卑下しまくることで
何とか自分を保っていた。

でもそうなると
自分の良さって目に入らず。

嫌いな自分ばかり意識してた。

こんな自分なんて・・・

そう思うことが
通常運転。

だから、
自己肯定感って何だ?
な部分もあったけど。

・・・そうじゃなかったな。

私は親バカに
美沙が描く絵を
いいねいいねと言っていた。

でも、それは
ほんとにいいと思うからこそ。

大好きなタッチだし
色合いもめっちゃ惹かれてて。

親だからって言う以前に
単なるこの人が描く絵のファン。

でね。
褒めてるうちに
あれ?
私が作る布小物も
いい線いってないかい?

なーんて、
自分が作ってるものに
目が向くようになり。

新生児用の肌着だったり
スタイだったり。

布をそれほど
使うことないってところから
作ることにハマり
売ってみたりもして。

って感じで、
母自身の持ってる良さを
自分で目が向けられるようになり
そのうち
いろんなことに目が向いて
メンタル崩壊させながらも
今の自分って
こんなところもあって
それはどうかなと思うけど
そんな自分も込みで
大好きだなって言えちゃう。

親バカって
すっげーーーー
なんて思っちゃう。

それが私の自己肯定感の源だなと。

それを我が子に
根っこから
テコ入れしてもらった、
ってところかな。

だからこそ。
美沙にとっての自己肯定感の
前提は
嫌いな自分は嫌いだと
そこは気持ちいいほどに
言い切ってる。

教室の中で
浮いてる自分を
めちゃくちゃ感じていた。

私、変な子だった。

あの自分はほんとに嫌だー。

自分の感覚で
見ていたことは
ほんとに違和感だったんだねぇ。

うん。
それはわかる。

私もそんな子どもだったからね。

友達にも
総スカンを食らった
あの教室は
親として
というより、
子どもの感覚で
関わることを
怖いと思ったし。

でもそこにいた子達は
みんな可愛い子だった。

うふふ。
私はすでにお母さんであり、
おばちゃん、
だったからね。

そして。
私にとっても
嫌いだと思う自分が
時に怒りの源となっていたけど、
実は全ての私の原動力となって
いたんだなぁ笑

だって常に
意識してたからね。

・・・ほんとはさ
そんな自分が大好きだったんだ。

嫌い嫌いって言いながら。

私の中では
そう言うことだったんだ。
うふふ。

ってことを
子どもがちゃんと
教えてくれていたんだな。

だからね。
親としてどーなんだと
思うこともあっていい。

たくさんたくさん
子どもと一緒に
それを出し合ったらいいよ。

それが育ち合う、
と言うこと。

親だからって
子どもを育てなくていい。
親だからって
完璧なことなんて
何にもない。

なんなら育ってない
そんな部分を持って
親になってるってことだから。

そこを
一緒に育てていったら
いいんだよ。
なんなら子どもがそこ
育ててくれるからね笑

ふふふ。
そー言うこっちゃ笑

親バカってやっぱりすごいねぇ笑笑

って言うのが
プロの親バカ師と名乗る
そんな私の源だわ。


今日もここまでお付き合いくださり
本当にありがとうございます。




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