JSUブッククラブ 体の変容
今週のオンライン読書会では、第9章「体の変容」を読みました。今回の内容は「キリストは、体への嫌悪から解放して下さる」「裏切られた体」「体は私の所有物ではない」「体の唯一の妥当な用い方」「混乱する体」「一歩ずつ進む」「安息日とは」「霊的に飾られた体」です。
「キリストは、体への嫌悪から解放して下さる」
体は、衣服よりも大切。自らの身体を、主神のために取り戻す。
「裏切られた体」
体を自己と同一視するから、若さを崇拝する反面、老化や臨終を受け容れられず、身体的な不道徳が生ずる。いずれ死ぬ肉体への執着は、確かに死である。
「体は私の所有物ではない」
私の体は私の物、と言われるが、人間は孤島ではなく社会的存在なので、体も自分事だけでは済まされない。弟子ならば尚更、神の栄光を表すための体でなければならない。
「体の唯一の妥当な用い方」
悪を為そうとしない自身を、神への生きた捧げ物とする。
「混乱する体」
不健全な魂は、体に様々な不調を引き起こす。
「一歩ずつ進む」
体を神に明け渡し、受け取って頂く「奉献の儀式」について。
体を偶像(最大の関心事)にせず、心配もしない。今や、神が体の責任者になって下さったのだから。
神と密接に繋がり、体を誤用しない。官能的な依存症、他者の支配、暴力的な振る舞いから離れ、自然な魅力に生きる。仕事を薬物化する過労も、誤った用い方である。
盗み・殺人・嘘など「キリストの体ならばできない事」をせず、栄養・運動・休息(安息日)で体に平安を満たす。パスカル「人の不幸は、自分の部屋から出ずにいられないという一つの事実に起因」。
これらについては『主に用いられるために保たれる』『霊性の点検 月並の信仰生活に陥らないために』という書籍も参考になる。
「安息日とは」
安息日の本質は、純粋な礼拝であり、まずは一人で沈黙する事から始める。世間への執着を手放し、過労を避け、充分な休息、特に睡眠を取る。「詩篇」作者も、命懸けの日々だが良く寝ている。休息しないと体が意識の中心になり、かえって「地上の物」への欲求に囚われるようになる。運動や食生活など、体の修練。
「霊的に飾られた体」
外面的な美しさではなく、柔和で穏やかな霊を持つ。本当に必要なものは、全て神が備えて下さる。
「体は自分の所有物」という考えに賛同するか否か、その理由は…との問いは、現代を生きる私達にとっても興味深いものですね。神様は、目的に基づいて私達を地上に生んだと言われます。
夕方には、星槎天文部の会合もありました。