ウパニシャッド 疑いと混乱
12月11日(水曜)
相模 逗子市 久木(日本ベーダンタ協会)
今朝は『奥義書』勉強会を受講しました。
前回は「恐怖」について学びました。解脱は、僧侶だけの専売特許ではなく、家住者も霊的実践で悟る事ができます。無恐怖になるため、ウパニシャッドを読んで実践します。万物との関係で恐れは必ず生じますが、唯一それが無いのは無執着です。苦楽を乗り越えると、聖ラーマクリシュナの如く感情を三日で平静に戻せるようになります。
悟った人(シャンカラ・ラーマクリシュナ・ビベーカーナンダ)も働き続けるが、それは最早、義務としての業に囚われた状態ではない。
疑いと混乱について。疑い2種類あり。科学者が天空を眺め「あの星は何だろう?」と疑うのは、物質的な疑い。聖者達は、霊的な疑い・混乱に挑んできた。体が亡くなったらどうなるのか、死神との対話。家族や名声欲だけで終わるか、人生の目的(我々の本性を悟る)に生きるか。一つの真理だけではなく、二つの意見があるから混乱が生ずる。周りの世界は、一時的か永遠か。
キリスト教(やイスラム)は祈り中心だが、ヒンドゥー教はヨーガの実践を重視。霊的な瞑想は、世俗的な楽しみ(食事で満腹を得る)とは異なり、すぐに結果が出ない。ゆえに、世俗的に生きるほうが賢く思い込む混乱。
宇宙についても同様で、科学者のビッグバン理論と、霊的な元素論がある。宇宙は偶然に出来たのか、いや意識ある存在から生まれたという考え(アインシュタインなど)がある。
至上神たる梵天についても、二つの存在が永遠というサーンキヤ学派(二元論)と、無限は一つだけというベーダンタ(一元論・非二元論)がある。こうした混乱の原因を探ると、自分の本性、人生の目的は何かに行き着く。
霊的実践の目的として、元気・長生きを目指す人や、超能力を欲しがる者も居る。悟りの結果、超能力を得る場合もあるが、それを世俗的な目的に使うならば堕落の恐れ。
ヒンドゥー教の神概念は、一神教とは異なり「形も性質も無い」「無形だが性質あり」「両方ある」「人間の姿をした神」の全てを包括的に認める。ヒンドゥー教の中でも、どの神(シヴァ・ビシュヌ・ガネーシャなど)を礼拝するかで混乱するが、そこからの解脱が悟り。人と神との距離感も「求道者は神になれず」から「信者は神の一部(制限非二元論)」「信者と神の本質は合一」まで存在。
今生のカルマだけでなく、前世のカルマも受け継ぐ。体で働くだけでなく、心もカルマ。カルマの意味は「仕事」と「結果」。カルマの原因は、満足させたい欲望。全てのカルマの結果を現世だけで味わう事はできないので、死後は他界(天国・地獄)に逝く。それでもカルマが残っているから、地上世界に再び輪廻転生する。
インドの食堂は、僧侶なら無料で利用できる場合あるが、現世の多くはお金が掛かる。天国では全て無料、病気も老化も無い。但し、天国で善のカルマを消費し終えたら、また人間として地上世界に生まれる事になる。これについては『輪廻転生とカルマの法則』を参照。
生まれてから死ぬまで、人生は悲苦(無楽)と一時性に満ちている。甘い果物と苦い果物、識別できないのが無知である。マーヤーの影響により「一時的なものを永遠」「穢れある物(肉体など)を綺麗」「苦しみの原因を楽」と誤解してしまう。
X線レントゲン検査は、人体の内部を観る。「霊的なレントゲン」は、更に内側の自我、永遠なる清浄だけを観る。ブラフマンを悟った者は、ブラフマンになる。聖典を学ぶ目的は「死から不死へ導いて下さい」(普遍の祈り)である。
ありがとう御座いました。