自分のことは好き。でもそれは自己肯定感の高さとは別物だと思う。
「自分のことが好きですか?」
って聞かれたら私は間違いなく
「好きです。」
って答えられる。
でもどうやらみんながみんなそうではないらしい。
嫌いな人だけじゃなくて、好きでも嫌いでもないとか、強いて言えば好きとか、そういう人が大半らしい。
話は変わるけど、私はどうもやたらと誉めてくる人がすごい苦手だったりする。
私は何か自分で頑張って手に入れたり努力した経験がすごく乏しい。
最初から50mを8秒前半で走れる人が7秒台にのることがそんなに難しくないように、
私は最初から8秒前半で走れることを7秒台にのせるくらいの努力しかした経験がない。
9秒台でしか走れない人からすると、それは相当な努力に見えても、実際はちょっとがんばるだけでできてしまうことなので、本人はそんなに頑張った覚えがなかったりする。
だから「走るの早くてすごいですね!!!」って言われても、相対的に走るのが早いことは自覚していても、どうしても周りの人の努力ほどではないと自己卑下してしまって、自分を認めることができない。
つまり、自分自身が自分に対して何かをすごいお思うことがほとんどないから、誰かに褒められてもうまくそのまま受け取れないという、全然素直じゃない性格ができあがる。
(ちなみに50m走は9.3秒です。)
でも、自分の能力を認めることができなくても、それは自分のことを好きかどうかと同義じゃないと思う。
あまりにもこれを混在しすぎてる人は多いと思うし、そういう人たちはもうちょっとだけ自分のことを好きになってもいいんじゃないかと思う。
子どもがどんだけ失敗しても悪いことしても、親はそれに対して叱りはすれど愛情を失うことがないように、
いやむしろ何かに対して転んだり失敗して何回も学んでる姿に愛おしさすら覚えるように、
私が何かをできないことは、それすらも含めて全部丸ごと私であって。
大事な日に寝坊して遅刻することも
何回も傘やら手袋やらをどこかに失くすことも
正論で相手を傷つけてしまうことも
そんなに評価はよくなかったけどすごく上手くいったと自分では思ったことも
そうなった理由やそのときの気持ちは私の心だけが全部知ってて、それは私自身しか真実を知らなくて
実は
前日緊張してよく眠れなかったから寝坊したのも
失くそうと思って失くしてるわけじゃないことも
本当はすごく言い方を考えて言おうとしてたことも
その日までに死ぬほど試行錯誤して本番に挑んだことも
私だけがそのことを私に対してなぐさめれるし、愛しく思ってあげられる。
今日も一日がんばったねって
毎日自分で自分を褒めてあげられる私はとってもかわいい。