今バズり散らかしている「はいよろこんで」の歌詞を改めてよく読んでみた
はじめに
リリースして3ヶ月の現在、すでにYouTubeでは8000万回近くの再生回数を獲得している、こっちのけんとさんによる『はいよろこんで』というこの楽曲。
日本だけではなく、韓国や台湾でも爆発的にヒットしている。TikTokを中心にこの曲がバズっているのは曲調やリズム感だけではなく、この曲が鬱などの精神的に辛い中で生きている多くの人たちへの心を捉えたからだと言える。
私はこの曲の雰囲気が好きだ。
というか、「こっちのけんと」というアーティストが好きである。
1年ほど前だろうか、TikTokで見かけたある男性アカウントのプロフィールに飛ぶと、あの菅田将暉の弟だと知り、兄弟にしては全然顔似てないじゃんと思ったのを記憶している。
年齢と出身地が私とあまりにも近く、私は直接の知り合いではないが、少なくとも私のリア友の誰かはどこかで繋がっているはずで、急に親近感を抱いた。
実は『はいよろこんで』がバズる数ヶ月前に『しぬな』という楽曲も、これほどでないもののかなりバズっていた。
「あ、この人…たしか菅田将暉の弟じゃん。」
その際にこっちのけんとさんの曲をいくつか聞いたのだが、それがどれも私の琴線に触れるものだった。なんというか、ディズニーっぽいというか、昭和っぽいというか、どれも「どこかで聞いたことある感じ」なのに、「でもやっぱり聞いたことがない感じ」というか、そんなオリジナリティがあるという感じだ。思わずうきうき楽しくなっちゃうみたいな曲調である。
ちなみに話は逸れるが、菅田将暉の弟として生きてきたことを文章にしたものをXで読んだのだが、これまた考えさせられるもので、彼の人柄や歩んできた人生、そこから生み出される音楽に非常に関心が湧くひとつの材料となった。
しかしなんというか、、私の性格なのだろうがこと音楽というものはなんとなくノリでしかわからないので、バズっているもののあまり深く歌詞をよく読んだことはなかった。
でもここまでバズるのは人の心にブッ刺さる何かが散りばめられているのだろうということで、改めて歌詞をしっかり読んでみたいと思う。
と、ここまで読んでなんとなく察する通り、別にこれは解釈を細かく説明したり、徹底的に考察をするような記事ではないし、むしろ変な先入観を抱きたくなかったので、専門用語やたまたま目についたこと以外はあえて事前に調べないようにして書いた。しっかりした考察サイトを求めている人たちにはかなーりゆるい記事となっていることをご容赦いただきたい。
そのため、本来の意図からズレていることもあるかもしれないが、一個人の感じたものとして読んでもらえると嬉しい。
映像にも着目したので、MVを見ながら読んでいただけるとより楽しめると思う。
各歌詞ごとの感想
ここまでがAメロ。
冒頭からカギ括弧が続くが、ここは1人の男性が笑顔で吹き出しで喋っている様子のイラストが描かれている。「はい謹んで」では急に悲しそうである。
これは…社畜だな。
自分の意思ではなくて、ただ求められたことに応じることが当たり前の社会を感じる。
嫌でも笑顔で応じるし、他人の代わりに謝罪する。
助けてくれようとしてくれる手はただの偽善に思える。自分のことなんてなーんにもわかっちゃくれない。なんて的外れなんだ。
あぁなんかすっっごく日本社会!!!
それより気になるのは最後のモールス信号である。MVをよく見ると、歌詞の最後の点はひとつ欠けているように思う。本来は歌詞にあるように「・・・ーーー・・・」で、これはアルファベットでいうSOSらしいのだが、実際は最後の点を歌いきれていないし、MV上の歌詞にも記載されていない。
助けを求めよう的なニュアンスの歌詞なんだろうが、つまりこれは結果的に助けを求められていないのでは…?…息絶えた?
力尽きて言い切れなかったのか、それとも言いかけてやっぱり言うのやめようなのかわからないけど、ともかくこの人は結局「たすけて」を言えなかったのだということだけはわかる。
そしてサビ。「ギリギリダンス」は「get it done」だと言うのをどこかで目にした。それだと意味は【やり遂げろ】的な感じだろうが、あえてカタカナにしているのは違う意味でも捉えられたいからなのではないだろうか。
このサビではさっきの男性キャラクターが他の人たちとダンスしている様子が流れる。でもそのメンタルはもうすでに「ギリギリ」のはずである。やりたくないのに頑張ってるんだからおかしくもなるだろう。
それなのに社会は彼に「やり遂げろ」と言うならもう……踊るしかないのかも…?ギリギリダンス!ってか。
ちなみにここのモールスはしっかり最後の点まで歌っていたのでやっと助けを求められたのかもしれない。
Bメロ。
「怒り抱いても優しさが勝つあなたの欠けたとこが希望」この歌詞めっっちゃいい。助けてを言えないこともひとつのありかたなんだと思える。
そして「救われたのは僕のうちの1人で」
自分の中に確かにその優しさを肯定している自分Bがいて、彼は怒りを抱いても我慢している自分Aに救われてるんだ。
でもそしたら自分Aはいつ救われるんだ。
自分ではワガママな言葉だと思うかもしれないけど、でも思うがままにハクナマタタな音である「・・・ーーー・・・」を鳴らそうじゃないかと。
ハクナマタタってライオンキングで出てくる、「問題ない」とか「大丈夫」みたいな言葉だったよねたしか。それを「SOS」に変換するのは洒落すぎてる。
「大丈夫大丈夫!」って、本当は何よりも「助けて」なんだよね。
最後のサビ。
「踊れ」「もっと鳴らせ」は、SOSってもっといっぱい叫んでいいんだよと表しているように見える。
「うっちゃれ」は江戸っ子の方言で「投げ捨てろ」「そのまま放っておけ」的な意味らしい。
正義を掲げている奴らなんて放っておけ
いいから自分のSOSを早く出すんだ
そんな感じのメッセージだろうか。
それでも最後まで「あなた方のために」動けるこの人はやっぱり優しいし、Bメロにもあるように彼はそんな自分を認められる人なのだろうとも思える。
おわりに
なるほどバズってる理由がよくわかったというか、すごく日本人らしい曲だなぁと思う。
多くの人の共感を得ているのは、生きづらさを感じている人が多いからなのだろう。
「自分らしさ」みたいなものって、昔もあったはずなのに令和になってから急速に発達した気がする。昔はそれがあっても認められづらいものだっただろう。
そう思うと昔はもっと生きづらさを感じていたのかもしれないと思う。そして、それをだんだんと表に出せるようになってきたのが令和なのかもしれない。
もっと誰もが気軽に安直にヘルプを出せる社会でありたい。