likeとloveの違いなんてぶっちゃけスペルでしかない
英語には「恋」に相当する単語がないらしい。
たしかにlikeもloveも「好き」ではあるし、loveには「愛」という体言の意味も含まれるけど、
それらは恋愛的な意味合いを主とする「恋」とはまた違う気がする。
という話を誰かにしたことがあるけど、そしたら
「romanceは?どう?」
と言われたことがある。
英和辞典によるとromanceの恋愛に関する意味項目は二つ
英英でも調べてみた。
恋に近しい意味であることは間違いないのだろうが、「短い」恋というのが気になるところ。romanceという言葉自体がRomaから来てるのなろうし、ロミジュリとかそういう西洋の恋愛物の衝撃的で運命的な出会いは確かに儚いものだ。
しかしそうなると逆にromanceに相当する日本語もないのではないだろうか。
実はloveという言葉が西洋から日本に入ってきた時点で、loveに相当する日本語がなかったために生まれた言葉が「恋」であるという話を聞いたことがある。
(なんやっけ…それが書いてた本があったんやけど名前忘れた…私の大学4年間の日本語学を学んだ期間の記憶帰ってこい)
西洋のラブストーリーに値するような、いわゆる駆け落ちや運命的な恋が、当時の日本ではそもそも存在しなかったのだ。
だからその翻訳に際して新しく生まれたのが「恋」である。
それなのに「恋」が英語でうまく訳せないっていうのは、結局どこまでいっても言語はその言語で聞くことでしか本質を理解することができないのだと思わされる。
ちなみに当時一番近いであろう言葉に「情」があったが、日本古来の恋愛に使われたその言葉では西洋の「love」が表現できないと思ったその当時の翻訳家たちの感性は言語学者として洗練されすぎていると思う。
さて、とりあえず話の原点に回帰します。
好きってなんだろうというのは永遠のテーマで、ワックスベタベタに付けてイキってる中学男子だって、結婚して子どももいてハッピーライフハッピーホームな一見幸せそうに見える主婦だって、きっと考えたり悩んだりしている。知らんけど。
好きにもいろいろあって、友達に対してだったり、パートナーに対してだったり、はたまた食べ物や本や音楽などに対してなのか、その対象はさまざまにあるけれども、
とにかく総括して考えると、24歳独身OLの考えた「好き」は、目の前にあるものに対してのみの感情かなぁと思う。
美味しいものを食べたとき
友達と話が弾むとき
好きな人と手を繋いだとき
全部「好き」だと思う。
しかしこれを「愛」にするには、「継続した好き」が必要になってくると思う。
だから、何に対してもそれが目の前にないときに、それについてどれだけ自分の頭の中を占めてるかというのが重要な気がする。
やってみたら楽しいことも、喋ってみたら楽しい人もいっぱいいるけど、
「早く次またやりたい」「次はいつ会えるかな」って次を今か今かと思うときと、
「もうすごい満足したからしばらくはいいや」「またそのうち会えたらいいな」くらいに思う時がある。そのときはすごく好きな気持ちなのだけれど。
「愛」を「恋」にするレシピについては、いつかまたどこかで(?)