〜自立と自分軸〜
4日目にしてもう何書こうか頭を悩ませているよ🤣笑💦
先月、私はある体験をしました。
その体験のテーマは"自立"。
ちなみに、自立と依存の定義はコレ。👇
「全ての選択肢は自分にあり、全ての責任は自分で取る。」
本当に大事だから頭に叩き込んでおこうね。
私はね、これが苦手だった。
出来ていなかったの。
「誰か」ヒトが絡んだ時に、
私は必ず「相手はどう思うだろうか」
そうやって考えてしまうクセがあった。
でもね、自立思考で考えてみると、
「相手は喜ぶかもしれない」
「けどそれ、私が自分で責任持てるの?」
と自分自身に確認してみる必要があるの。
相手が喜ぶ≠自分で責任を取る
じゃぁこれが、
大切な家族≒大切な仲間
だったら??
「どっちを取るの?」
私は「決断する」事が、怖くて怖くて仕方がなかった。
家族! 仲間!
目の前に当事者と選択肢がある中で、
どっちと言ったら、
「誰がどう傷つくんだろう」
と頭の中はそればっかり。
「私はどうしたいの??」
この問いに応える余裕は少しもなかった。
と言うか、「私はどうしたいのか」が全く見えなくなる、そんな状況だったの。
「どっちだって良いんだ!決めれば良い!」
周りはそう言った。
私はまだ決断できなかった。
でも決めなきゃいけなかった。
だから家族をとった。
"仲間"は皆んな喜んでくれた!
「よく決断したね!!」って。
その時は私も、これでいいんだ、この決断が正しかったんだ、そう思ったの。
だけどね、ここにはやっぱり、
"自分で責任を持つ自分軸"
が存在していなかったわけ。。
(だからこの後のオチはね…
みんなと抱き合って、「よく決断したっ‼︎」て褒めてもらった空気をぶち壊して、
「やっぱり"家族"をとるのをやめる‼︎」
という異例の展開を引き起こしてざわめかせました。。)
決断を変える事はあってもいい。
いけないわけじゃない。
でも、きっと少なからず"信用"は傷つける。
だからこそ、一度目の判断で、
自分軸で責任を持って決断する
この練習はしていく必要があると思ったよ。
"生きる"という実践の中でね。
相手の反応を怖がってはいけないの。
それよりも、相手軸になってしまう方が無責任だよ。
案外、
どっちを選んでも、
大切な相手なら関係は築いていける。
だったら、コロコロ変わるより
「決断するんだ!」
ユタ州に住んでいる、大切な人からね、
『You always brighten our day.(あなたはいつも私たちの一日を明るくしてくれる)』
ととっても嬉しい言葉をいただいたの💕
誠実に生きていく。
そして、恩を返せる人間に成長する。
頑張るのだ!!
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