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❶出生朱雀天皇は醍醐天皇の第11皇子で、中宮の藤原 穏子が39歳で生んだ。朱雀天皇と村上天皇は、醍醐山を開山した聖宝によって安産祈願された。年の離れた兄と皇太子に立てられていたその皇子が早世し、醍醐天皇が崩御したため、わずか8歳で即位することとなった。藤原 忠平が摂関として政治を取り仕切った。 ❷時代の変わり目と天災第50代 桓武天皇の子孫が臣籍降下して平氏を名乗り、関東に根付いた一族である平将門が935年から5年間、身内の争いから始まり、新しい国王を名乗るまでの反乱が起
❶即位までの経緯第55代 文徳天皇-第56代 清和天皇-第57代 陽成天皇と続いたが、陽成天皇の母・藤原高子と兄で摂政・藤原基経の不仲などから、陽成天皇は退位させられ、第58代 光孝天皇が即位した。光孝天皇は自分の譲位後の皇統は陽成天皇の子孫に戻ると予測して、自身は一代の天皇であるという表明で子供達を臣籍降下させた。 しかし光孝天皇が崩御まぢかになった際、藤原基経らは光孝天皇の第7皇子の源 定省(みなもとのさだみ)を推挙。20歳の定省は出家を願っていたところ急遽皇族に復帰