第61代 朱雀天皇
❶出生
朱雀天皇は醍醐天皇の第11皇子で、中宮の藤原 穏子が39歳で生んだ。朱雀天皇と村上天皇は、醍醐山を開山した聖宝によって安産祈願された。年の離れた兄と皇太子に立てられていたその皇子が早世し、醍醐天皇が崩御したため、わずか8歳で即位することとなった。藤原 忠平が摂関として政治を取り仕切った。
❷時代の変わり目と天災
第50代 桓武天皇の子孫が臣籍降下して平氏を名乗り、関東に根付いた一族である平将門が935年から5年間、身内の争いから始まり、新しい国王を名乗るまでの反乱が起こった(平将門の乱)。また、およそ同時期 939年から2年間、伊予掾として海賊の討伐にあたった藤原純友が、海賊と手を結び四国・中国の国府を攻め、ついには大宰府を占拠する乱(藤原純友の乱)を起こした。
932年には富士山が噴火して大宮浅間神社が消失し、937年には北東側から噴火し、20km下流にまで溶岩が流れた。
朱雀天皇は体が弱く、世継ぎを作ることができなかった。946年 24歳で弟に譲位し(第62代 村上天皇)、出家して仁和寺に入り崩御した。御陵は父の御陵の近く、醍醐にある。
【関連人物の史跡】
❶平将門を祀った神田明神
❷平将門の乱を平定した藤原秀郷の拠点
下野掾だった藤原秀郷は乱を平定し、秀郷流の諸氏の元となった。
『京都遠足』
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