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923-952年[在位 930-946/17年]
父:第60代 醍醐天皇 母:藤原 穏子(関白 藤原基経の娘)
妻:
 煕子女王(兄・保明親王の娘)
 藤原 慶子(左大臣 藤原実頼の娘)


❶出生

朱雀天皇は醍醐天皇の第11皇子で、中宮の藤原 穏子が39歳で生んだ。朱雀天皇と村上天皇は、醍醐山を開山した聖宝によって安産祈願された。年の離れた兄と皇太子に立てられていたその皇子が早世し、醍醐天皇が崩御したため、わずか8歳で即位することとなった。藤原 忠平が摂関として政治を取り仕切った。

第50代~第77代の天皇系図

❷時代の変わり目と天災

第50代 桓武天皇の子孫が臣籍降下して平氏を名乗り、関東に根付いた一族である平将門が935年から5年間、身内の争いから始まり、新しい国王を名乗るまでの反乱が起こった(平将門の乱)。また、およそ同時期 939年から2年間、伊予掾として海賊の討伐にあたった藤原純友が、海賊と手を結び四国・中国の国府を攻め、ついには大宰府を占拠する乱(藤原純友の乱)を起こした。

932年には富士山が噴火して大宮浅間神社が消失し、937年には北東側から噴火し、20km下流にまで溶岩が流れた。

朱雀天皇 醍醐陵(京都市伏見区醍醐御陵東裏町)

朱雀天皇は体が弱く、世継ぎを作ることができなかった。946年 24歳で弟に譲位し(第62代 村上天皇)、出家して仁和寺に入り崩御した。御陵は父の御陵の近く、醍醐にある。


【関連人物の史跡】

❶平将門を祀った神田明神

神田明神(東京都千代田区外神田)

❷平将門の乱を平定した藤原秀郷の拠点

下野掾だった藤原秀郷は乱を平定し、秀郷流の諸氏の元となった。

右:伝藤原秀郷居館跡(東京都府中市片町)
中:藤原秀郷公墳墓(栃木県佐野市新吉水町)
右:唐沢山城(栃木県佐野市富士町)

『京都遠足』
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