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指導するポジションの人は、付加価値をつけるという意識をもつべき
現在の仕事は、教育現場とは直接かかわっていない。しかしいずれは教育現場に戻ると思われる。実際に戻る前に、今一度現場で問われる力は何かを考えてみようと思った。職場の同僚と話していて、1つなるほどなと感じたことがある。それが今回のタイトルにもある「付加価値」についてである。
1.仕事について考えてみる
当たり前の話ではあるが、仕事という、対価として給料が支払われるものにおいてこちらがギブするものは、現状よりもベターなものであることが望まれる。これは教育だけでなく、すべての業種、仕事に関わることである。しかし、最近はどうも世間のあらゆる荒波に飲まれ、この意識を阻害されてしまうことがあるように思える。
その1つがパラハラといった「ハラスメント」であると思う。世間はとにかくハラスメントにおびえている。部下が、子どもたちが、「傷ついた」「ショックを受けた」といった感情をもつとパラハラだと訴えられる。その結果、上司や先生といった上層部の人たちは何も言えなくなる。
2.「指導する」ということ
しかし、「指導する」ポジションにいる立場のことを考えてみてほしい。その人たちは、部下や子どもたちがどれほど嫌がろうとも教え、導く存在にならなければならないのである。
ここで「指導」という言葉の意味を調べてみることにした。
「指」は「指し示す」という意味があり、「導」は「導く」という意味があります。この二つの漢字が組み合わさることで、相手を正しい方向へ導くことを目的とした行為が表現されています。
さらに、古代中国の思想においては、知識や徳を持つ人が、無知な者を指導することが重要視されていました。
そのため、「指導」という言葉は、知識の共有と成長のための手助けという概念が根底にあります。
教育の場面だけでなく、家庭やビジネスにおいてもその考え方が引き継がれています。
「指導」とは?意味や例文や読み方や由来について解説!|コトバスタ
「相手を正しい方向へ導くことを目的とした行為」を行うのであれば、相手にとってつらいこと、改善すべきことを伝えることが、義務までとはいかないが伝える責任はあると思う。そうでなければ、相手は将来不利益を被るかもしれないから。
3.教育現場の指導
教師の話にはなるが、子どもたちの良いところを伸ばすべく、頑張ったところ、努力したところを褒め、子どもの自己肯定感を伸ばす。そのような指導が大切であるとよく耳にする。頑張ったところを褒めることは確かに大事である。しかし、これでは、いいところを伸ばす点においてはプラスに働くが、改善すべき点においては何もフォーカスされていない。人間は、良くも悪くもプラスマイナスがある存在である。何かに秀でていることもあれば、そうでないところも必ずある。マイナス部分にも目を配ることは必要であると思う。だとすれば、叱ったり、諭したりする場面は起きるはずである。しかし、なかなかそれができないという現状もあり、同時に勇気の必要なことであるのは確かである。
では、指導する立場において何を心がければいいのか。まず私が思う必要な視点として、タイトルにもある付加価値をつけさせるとはどういうことかを考えることである。その点を考えれば、自分がとるべき行動が少しずつ見えてくるのではないかと思う。しかし相手が人間であれば、対人関係という超難題の壁にぶつかる。その壁を打ち破る武器の1つが「愛」であると思う。相手にとって自分が敵ではない。仲間であるという意識をもち、接することである。例えば、「忘れ物するなよ~」の一言でも、先生が言うのと、通りすがりの一般人が言うのとでは聞き手の感触は全く異なるものである。「誰が」「何を」「どのくらいのテンションで」伝えるのかで言動は変わるのである。
4.まとめ
何事においても、付加価値をつけさせることは、現状維持よりもしんどい。しかし、現状よりもよくしたい、よくなりたいと思うのならば、苦労を伴う必要がある。常に半歩先の目標を見据え、情報を集め、精査し、行動していくことを心がけていきたいものである。