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他人軸と承認欲求

自分以外のもので自分を満たそうとすると、いつまで経っても自分虐めを続けてしまう。

他人軸、自分軸という言葉はあまり好きではないが、他人軸で生きていたら、ざるに水を注いでるようなもんだ。多分永遠に満たされない。


もう随分と長く、母親への恨みや会社で受けたパワハラ、何もしてあげられなかった娘たちへの後悔に囚われて生きてきた。これらは全て他人軸だ。
もし10年前に母親やパワハラ上司が改心して謝ってくれていたとしても、一時的な満足感はあったかもしれないが、オレの人生にはさほど影響は無かっただろうと思う。
娘たちへの後悔の思いなんかはもっと分かりやすい。これは只々、自分を許して欲しいこんな最悪な親父だけど、受け入れて欲しい。という娘たちへの要求だった。娘を使って自分を慰めたかっただけだ。
気持ちの悪いただの毒親だ。
直接要求をしたことはないが、何か言い訳がましい感じを与えていたのかもしれない。

今、これらを思い出して猛反省や激しい後悔に苛まれているかというと、そういう訳ではない。それをしていたのは少し前までの話だ。
今はこれら全てが自分以外への期待、承認欲求、他人軸の生き方だったことに気がついた。
これら全ての心のモヤモヤが、自分以外に受け入れられたところで多分何も変わらない。それこそ一時的な満足感や安心感を得て終わるんだろうと思う。
結局のところ、自分で自分を受け入れて許すことが出来なければ、何も変わっていかないんだと思う。自分自身の事を、家族も含め他人に任せてはいけない。
全ては自己責任、自己完結だった。

過去の自分も今の自分も全部許せばいい。その時点での精一杯の自分なりの判断で生きてきたし生きている。
理想論だとか難しい事だとか思われるかもしれないが、ただ許しただ受け入れるだけだ。そんなに難しくはない。
過去の失敗を思い出した時、自分のダメなところが浮かんできた時、ただ許しただ受け入れる。これを繰り返していけばいい。許すと自分で決めればいい。

ずっと前から、理想としての自己完結を目標に生きてきたと思う。
やっと今、現実的な自己完結に気づき始めたのかもしれない。
随分と時間がかかってしまったと思うが、今がきっと自分にとってのタイミングだったんだろう。
諦めたらそこでゲーム終了だ。
死ぬまで生きるって決めたし、これからも許しながらもがきながら生きていこうと思う。

最後、どこかで聞いたことのあるような言葉を並べてしまったな……。


読んでくれた方、ありがとうございました。



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