どうせ死ぬなら

このnoteのタイトルです

出典はあいみょんのインディーズアルバム2作品目「憎まれっ子世に蔓延る」の1曲目にある曲のタイトルが「どうせ死ぬなら」です

特に大きな意味を持って付けてるわけでも、あいみょんの歌詞の内容に共感したわけでもなくて、ただ言葉の雰囲気が今の自分とマッチしてるなと感じたからこれにしました(4年前に)

まあ歌詞の歌い出しがが

どうせ死ぬなら二度寝で死にたいわ
欲を言えば父ちゃんと母ちゃんに挟まれて

あいみょんどうせ死ぬなら


なのでとんでもないですよね。
まあ2行目は家族と仲良く過ごしてきたあいみょんの家庭環境から来るものなので、そこは共感はできないですけど、1行目の1番最初にそんな言葉持ってこれるって天才やな〜と思ったのが当時の感想です。


あいみょんとの出会いはあんまり深くは覚えてないですけど、2016年頃、既にメンタルがおかしくなっている時代ですが、たまたまカラオケに行ったときに、友達が「貴方解剖純愛
歌~死ね~」を歌ったんですよ
まあ当時もかなり物議を醸した曲ではあったとは思うんですけど、初めて聴いた僕はすごい衝撃を受けたのを覚えています。
家に帰ってあいみょんについて片っ端からインターネットで調べ尽くした記憶があります

あ〜メジャーに出るアーティストでもこんな表現使ってもええんやな、その発想がすごいわって感心してました(本当は死ねはダメなんですけどね)

そこからしばらくはあいみょんをよく聞いてたと思います。ファンクラブの会員にもなってたし、ライブを見るくらい好きではありました。

最近は作風が変わってきてあまり聴くことは以前と比べると少なくなりましたが、天才成分が欲しい時は聴いています。とにかく表現の仕方が無限なので。

僕はずっと生と死を考える事が好きで
いや全然好きじゃないんだけど、考えてしまうから深掘りせざるを得ないだけなんですけど

人が死んだらどうなるんだろうとか
神様とかどうせいないんだろうなとか
死後の世界って本当にあるのかなとか
死んだ事もないくせにみんな偉そうに語ってるのアホくさ
って思ったりしてました。子どもの頃から

人が生きる限り死から離れて生きる事は不可能なので
いつかは必ず死と向き合っていかないといけないんですよね
それは自分の死もそうですけど、大事な人の死もそうで、なんの前触れもなくある日突然死んでしまう事だって実際にあって

だから人間が生きてる限りは必ず避けては通れない命題が生と死なんだと思っています


で、そんなことを考えている時にタイトルの「どうせ死ぬなら」って言葉が入ってきたんです

そこには様々な意味があるとは思ったんですけど、個人的な見解としては「どうせ死ぬなら、やりたい事をやってから死にたい」そういう風に感じました
もちろんこれが正解だなんて全く思ってないですけど、そう思う事で自分自身が楽になったので、これはこれでいいのかなって思うようになりました。

どこまで行っても希死念慮は着いて回るし、生きたいと願う今よりも早く終わりにしたいと思う気持ちの方がずっと強いです
ただ実行に移せないから生きてるフリをしているだけで
全然自分が生きているという実感はないです

まあ生きてるわけじゃなくて
死んでないだけって感じです

たぶんずっとそういう世界で生きてきたからそれが苦痛ではなくて普通なんです
なんとかしたいとか治したいとかそういう気持ちもないです

死に場所は中々選べないですけど、できれば良き終末が来るといいですね

特に書く事を決めていたわけではないので適当に思いついたことをあーだこーだと書き連ねていたら1500字になりました

たぶん文字を書くのは遅い方だと思います
気持ちを言葉を直す時間が人よりかかってしまうので、書いた後から書き直しとか当たり前にやっているので(1500字を約1時間かけて書いています。中身もスカスカなのに)

特に終わりの言葉を書くつもりもないですが、いつか来る終わりについて考えてみるのもおもしろいのかもしれません。それは命の終わりだけではなくて、学生生活の終わり、社会人としての終わり、仕事の終わり、一人暮らしの終わり、色々な終わりがあると思います
そして、終わりが来たら始まるんですよね

次回余裕があれば終わりと始まりの話をしたいと思います

今日もお疲れ様でした
また1日人間ごっこしましょうね



でもマリーゴールドの方が個人的には好きだったりします


なんでやねん

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