タナカです。

時たまエモい文章を書いている人です。 ふらりとVlog制作もしています。 京都のどこかでギリギリ生きてます。

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最近の記事

何者かになりたい理由

がむしゃらに走り続けている瞬間は最高だ。 余計なことは考えなくていい。 圧倒的な努力は必ずや何かに繋がるはずだと、ある種盲目的に信じることができる。 「そんなに頑張らなくていいよ」とか「他にも楽しいことはたくさんあるよ」という他人の声を、その正しさを理解しながらも、僕は脇目もふらずに前に進む。 人生の節目節目で、僕はこの盲目的な感情に取り憑かれる。 その度にいつもただ一つの正しさを信じてしまう。 −−かつて僕は、大切な友人を失ってしまったことがある。 彼の事情を考慮

    • 淡い

      僕は今、とても淡い気持ちになりながら、この文章を書いている。 「淡い」が一体どういった感情なのか、それを具体的に表現することはとても難しいことなのだけれど、それ以外に適切な言葉は出てこない。 「淡い」という気持ちはきっと、僕の中で特別な表現だ。 ふとその気持ちに浸った時に、自然と涙が溢れてしまうような。 そんな脆くて儚げな気持ちに違いない。 この2日間で僕が見た景色は、もしかすると夢だったのではないか、と時折不安になる。 それほどまでにこの12年間、自分が願い続けてきた

      • 左利きの女性マスター

        先日、久しぶりに和歌山に行った。 4年間の大学時代を過ごした和歌山は、もはや第2の故郷だ。 阪急で大阪方面に向かい、天下茶屋で南海電車に乗り換える。 当時から何度も往復した道のりだ。 片道2時間という長い時間も、なんの変哲もない車窓からの風景も、 過ぎ去った青春時代のカケラがまだそこに残っているようで、 今でも少しだけ胸がくすぐられる。 京都方面へも、和歌山方面へも 何かしら目的を持って電車に乗っていたのだ。 その目的は一体なんだっただろうか。 南海電車に揺られて

        • Sentenceから作品をつくること。

          ——なるほど、あの娘は美しい。 ――しかし、美しいと思うのはお前の目なのだよ。               クセノフォン 『21歳の葛藤』を書き上げる4年前、僕は人生で初めての作品を書いた。 2013年。 僕がまだ高校3年生だった時のことだ。 苦しみにも似た、言語化できないほどの創造欲求に駆られた僕は、父の持っていたMacのキーボードを叩き続けた。 小説の書き方なんて何も知らなかったから、すべてが見様見真似からのスタートだった。 ただ、当時も今も僕の執筆スタイルは

          田舎での記憶は、抽象的で日常的

          都会よりも田舎の方が青春な気がする。 僕は24年間のこれまでの人生で、京都・和歌山・東京に住んだことがあるけれど、東京での思い出は、常に何かしらの出来事しか記憶に残っていない。 仕事でこんなことがあった、こんな面白いことがあった、こんなツライことがあった、などなど。 とても具体的なことしか思い出せない。 (ちなみに、僕はエイベックス時代の休日の記憶がほとんどない。休日がなかったという話ではなく、本当に何をしていたのかが思い出せないのだ。たぶんどこにも行かず、家で引きこもっ

          田舎での記憶は、抽象的で日常的

          夜もすがら1人、あの頃を思い出す。店長と飲むカフェオレが、僕は好きだった。

          和歌山での思い出をnoteに書こうとして、あの頃の出来事に思いを馳せていた。 正直沢山ありすぎて、どれから書いていいのか分からない。 だから、僕はいつも毎朝の通勤電車内で、頭に思い浮かんだ出来事を書くと決めている。 昨日の朝思い出したのは、バイトでの何気ないことだった。 今夜は僕がお世話になった店長との思い出話を語ろうと思う。 店長と僕とカフェオレ僕は当時、『和食居酒屋 そら豆』という和歌山市駅近くにある居酒屋でバイトをしていた。 全席完全個室で、和歌山県産の地鶏

          夜もすがら1人、あの頃を思い出す。店長と飲むカフェオレが、僕は好きだった。

          『21歳の葛藤』

          かつて僕は友人のためだけに、一つの小説を書き上げたことがある。 21歳の時の話だ。 当時の僕はまだ長期インターンで営業を始める前で、毎日を怠惰に過ごす極一般的な経済学部生だった。 気の合う友人と煙草を吸って酒を飲み、翌朝の講義をサボってパチンコに行く日々だ。勿論そんな毎日はとても楽しかったけれど、でも時折、僕は無性に小説を書きたくなった。 自分の心の中にある感情を、限りなく情緒的に表現したい、という欲求だ。 僕は小さい頃から熱心な読書家だった。 親は本を買うことなら際

          『21歳の葛藤』

          初めての営業。「1件の価値」は捉え方で変わるということ。

          今晩の読み物。 僕がかつて、初めての営業を通じて学んだことについて、話そうと思う。 2016年の12月。 僕が大学3回生の頃の話だ。 当時の僕は、4回生という就活の年を目前にしながらも まだ何者でもない自分に対して焦っていた。 『就活のために、色々と話せる経験をしておいた方がいい』 大学に入ってから n 回聞いたセリフだ。 4年間もあれば何かしらはできるだろう、なんて呑気に考えていた僕は、 結局のところ就活に役立てそうなエピソードを、何一つ持っていなかった。 しい

          初めての営業。「1件の価値」は捉え方で変わるということ。

          703号室から和歌山の夜空を眺めること。僕の4年間はここからスタートした。

          高校を卒業後、僕は和歌山大学経済学部に進学した。 もともとは佐賀大学か長崎大学の経済学部への進学を希望していたが、 18歳で親元を離れて、よくわからない九州に行くのは危険だと判断した。 そもそも九州に行きたかったのは、種子島(当時、新海誠監督の『秒速5センチメートル』にドハマりしていた)に行けば、自分の欲しいものが見つかるかもしれない。という謎すぎる動機だった。 国立大学かつ地元の近畿圏内であれば、学歴的にも良いし、京都に帰りたいときに帰れるし、九州にはバイトでお金を貯

          703号室から和歌山の夜空を眺めること。僕の4年間はここからスタートした。

          エイベックス最後の夜。渋谷で上司が最後にくれた言葉。

          僕はかつてエイベックスの営業マンだった。 2018年に新卒入社。 エイベックス・エンタテインメント株式会社のアライアンス営業に配属され、そして2019年の1月に退職した。 起業を志して、僕はエイベックスを辞めた。 新卒1年目。 芸能界という特殊な業界で、激動の日々を過ごし 仕事に忙殺されながら、慣れない東京での生活を送っていた。 当時、僕は毎日がツラかった。 とにかく分からないことだらけで、仕事ができず多くの人に怒られた。 詰められるなんて当たり前。 深夜まで一人で残

          エイベックス最後の夜。渋谷で上司が最後にくれた言葉。

          12歳の決意と親父の言葉。そしてそれが3年後の未来を決めた。

          『強くなりたい』 ただ毎日これだけを思い続けた時期が彼にはあった。 小学6年生。12歳の時だ。 彼は小学3年生から、地元の野球チームに入っていたが、公式戦でも練習試合でも勝てた記憶はほとんどない。 何故勝てなかったのか? 「きっと、彼は勝ち方を知らず、勝つことにも慣れていなかったのだろう」と、24歳の大人になった僕は思う。 負ける度に、また一つ負けることに慣れてしまう。 強いチームは何を考えながら野球をやっているのか。小学生のうちにその答えを知ることはなかった。

          12歳の決意と親父の言葉。そしてそれが3年後の未来を決めた。

          Dailyなビデオブログではない。僕のVLOGは”作品”でありたい。

          こんばんは。 KYO-KAの田中です。 大学時代やエイベックス時代の僕しか知らない人は、僕のことを営業大好きマンだと思っている節がありますが、実は高校の頃から自分で小説を執筆するくらいにクリエイターな田中です。 今年の夏からVloggerでもあります。 日本でも徐々にVlogger(VLOGつくってるクリエイターのこと)が増えてきて、YouTubeでもVLOGの動画を見る機会が多くなっています。 しかし、一概にVLOGといってもそこには種類やジャンルがあり、クリエイタ

          Dailyなビデオブログではない。僕のVLOGは”作品”でありたい。