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読書日記2024年6月 『ミステリー小説集 脱出』など

6月の読書日記です。
読んだ本の中から、印象に残ったものの感想を書いていきます。
今回取り上げる本は、以下の通りです。

『ミステリー小説集 脱出』(空木春宵ほか/中央公論新社)
『感傷フォンタスマゴリィ』(空木春宵/東京創元社)
『金閣寺』(三島由紀夫/新潮文庫)
『花紋』(山崎豊子/新潮文庫)
『初夏ものがたり』(山尾悠子、酒井駒子・絵/ちくま文庫)

『ミステリー小説集 脱出』(空木春宵ほか/中央公論新社)

『ミステリー小説集 脱出』、デザイン格好いい表紙

こちら、タイトル通り「脱出」をテーマにしたミステリーアンソロジー。
収録作のうち、「屋上からの脱出」(阿津川辰海)のみ、学校の屋上に不慮の事故で閉じ込められて……という日常の延長からの閉鎖空間(これも怖い)を扱っていますが、他の4作はすべて変化球。
特殊設定ミステリ(と言っていいのか、定義を正確に把握してはいないのですが)、とても楽しめました。

「名とりの森」(織守きょうや)
その森に入ると、自分の名前を忘れてしまい、出てこられなくなる……
という言い伝えのある場所へ、禁忌を破って入ってゆく少年たちのお話。
自らの名前を忘れてしまわないよう工夫をしつつ、森に棲まうものの魔手から逃れ、果たして無事に抜け出せるのか。
民俗学風味も満載の、ホラーテイスト強めのお話。
ぞわぞわとした恐怖の中に、少年二人の冒険物語の趣も。
夏休みに読みたい雰囲気のお話でした。

「鳥の密室」(斜線堂有紀)
舞台は中世ヨーロッパ。
魔女狩りの嵐が吹き荒れ、神父の手により拷問や処刑が容赦なく行われている街。
修道女ベネデッタは神父の魔女狩りの手伝いをしていながら、魔女として捕らえられた少女マリアと心を通い合わせていきます。
不思議な少女マリアは、閉じ込められた塔の最上階から「魔法を使って脱出してみせる」と言うのですが、はたしてどうやって……?
魔女審判の拷問シーンはかなり凄惨な描写が続きます。
ただ、それがあとから伏線にもなってくるという驚きが。
悲惨な境遇に陥ったベネデッタとマリア、二人の連帯感が切なく印象に残りました。

「罪喰(つみはみ)の巫女」(空木春宵)
空木作品のファンなので、この本でも一番期待しておりました。
もちろん期待は裏切られず大満足!
終戦後しばらく経った、しかしまだ混沌とした時代の日本。
山中奥深くのさらにまた地下深く、「人の罪を喰ろうてくれる巫女がいる」という話を聞き、語り手「私」ははるばると訪ねてゆく。
人の罪(とその肉)を喰らう巫女、という設定だけで心が逸ります。
その巫女の美しくも妖しい造形といいい、一癖も二癖もある客たち(語り手の「私」含めて)とのやりとりといい、怪奇幻想の雰囲気たっぷり。
巫女の特殊な設定を生かしてのミステリーとしての面白みも抜群ですが、この雰囲気に浸れただけでも収穫でした。
さて、巫女をこの地下の神殿から救い出そうとする「私」の目論見は、成功するや否や。
二転三転する仕掛けを、最後まで堪能させていただきました。

「サマリア人の血潮」(井上真偽)
見覚えのない、病室のような場所で目を覚ましたトオル。
自分の名前や年齢以外、何も思い出せない。
なぜこんな場所にいるのか、という疑問が解けないまま、ゾンビか吸血鬼のような化け物が襲いかかってくる。
そこへ、スピーカーから「親友のカズト」の声が聞こえてきて、窮地を脱するのですが……。
自分自身は記憶喪失、周囲の状況は不明なことだらけ、とにかくこの施設から早く脱出しなければ危険という状況。
声だけで手助けしてくれるカズトは頼りになるのですが、完全に信頼しきれない面もあり、さまざまに頭をめぐらせながらの脱出行。
収録作中、もっともスリリングな設定と展開のお話でした。
謎解きしながらバイオハザード的アクションも楽しめる一編。

『感傷フォンタスマゴリィ』(空木春宵/東京創元社)

『感傷フォンタスマゴリィ』、雰囲気たっぷりの表紙

空木春宵さんの第二作品集。
刊行をとても楽しみにしていました。
収録作5作のうち、3作は雑誌掲載時に既読でしたが、あらためて読み直してみるとまた面白い。
初めて読んだ2作は下記の通りです。

「感傷フォンタスマゴリィ」
世紀末のフランス、光学装置を用いた「フォンタスマゴリィ」製作者である青年ノア。
彼の製作するそれは、亡き人を生き生きとした<幽霊>として蘇らせる、という代物。
ある御婦人から「五年前に死んだ妹を蘇らせてほしい」という依頼を受け、彼女の屋敷に向かう。
が、その御婦人の態度も、無数に鏡が取り付けられたその屋敷も、どこか奇妙で……。
妹を蘇らせる作業に従事するうち、ノアにも異変が起き、やがて隠されていた真実が明らかになります。
空木さんが得意とする、共感と自他の境界の曖昧さをテーマにした物語。

「4W/Working With Wounded Women」
こちらの物語も、共感が一つの大きなモチーフになっています。
ただし、激しい「痛み」をともなって。
<上甲街>の住人が受けた傷や痛みが、そのまま<下甲街>の住人へと<転瑕(てんか)>されてしまう、という世界。
たとえば、<上甲街>のある人物がビルの屋上から飛び降りて、地面に叩きつけられる。
と同時に、その人物と契約を結んでいる<下甲街>の住人に、その損傷と痛みはすべて転送されてしまう。
<上甲街>の人物は無傷のまま生き永らえ、<下甲街>の人物は当然ながら、死亡。
しかも<転瑕(てんか)>はいつ起こるかわからず、<下甲街>の住人たちは突然やってくる怪我、痛み、あるいは死を引き受けねばなりません。
こういう恐ろしい設定、いったいどうやって考えつくのか……まずその点に感心してしまいました。
もちろん、設定倒れに終わらず、物語も魅力的。
<下甲街>のユイシュエンは、間断なく送られてくる<転瑕>に耐えながら、それを送ってくる<冥婚相手(フィアンセ)>を「あの子」と呼び、「あの子」に関する物語を作り上げます。
「あの子」は、きっと正義の味方なのだ。
懸命に悪と闘っているのだ。
だからこそ、こんなにも傷を負っている――というように。
しかし、あるきっかけで、「あの子」の真実を知ることとなります。
それはユイシュエンの希望を裏切るものだったのですが……。
暴力と痛みに満ちた物語ですが、読後感はとても良かった。
そしてまた、このお話が単なるSFではなく、現実に生きる自分たちにも引き寄せて考えられるようになっているのがすごい。
自分もまた、どこかの誰かに、無意識のうちに傷や痛みを肩代わりしてもらってはいないか……と。

『金閣寺』(三島由紀夫/新潮文庫)

疲れている時は、なんだか頭が働かなくて新しい本の情報が入らない……
という時期に、『金閣寺』を再読しました。
再読、というより、三読目か四読目か、それ以上か。
決して三島の全作品が好きというわけではなく、この作品についてもなぜ好きなのか上手く説明できないのですが、しかし何度となく読んでしまう魅力がある。
今回は読んでいる中で、「有為子」の存在にあらためて着目しました。
主人公の少年時代に登場し、すぐに劇的な死を遂げ、しかしその後に幾度も幾度も姿形を変え、主人公の前に現れ続ける「有為子」。
決して手に入らない存在である彼女の名前が「有為」であるのに、主人公を「無為」に陥れてしまう、というところが面白い。

ちなみに、「有為子」に関する場面で、私が一番好きなのは主人公が遊郭を訪ねるところです。

「私の足がみちびかれてゆくところに、有為子はいる筈だった」
と思いながら闇雲に入った店の中には、三人の女がいる。
もちろん、有為子はいない。
「有為子は留守だった。その留守だったことが私を安心させた」
留守だった、という書き方が、すごく好きです。

そして女と遊んだ後、その行為が「想像裡の歓喜に比べていかにも貧しかった」という理由として、
「私の現実生活における行為は、人とはちがって、いつも想像の忠実な模倣に終る傾きがある。
(中略)
こうした肉の行為にしても、私は思い出せぬ時と場所で、(多分有為子と)、もっと烈しい、もっと身のしびれる官能の悦びをすでに味わっているような気がする」
と考える主人公。
「思い出せぬ時と場所で」というのが、また、とても良いなと感じました。

さて本の感想からは、ちょっとずれる話になりますが。
(なので、ご興味ない方は飛ばしてください)
私も自分の小説の中で、ある意味では「有為子」のような存在――決して手に入らない少女(あるいは少女に近しいもの)を書き続けてきました。
それゆえ『金閣寺』にこんなに心惹かれるのかな、と今回初めて理解した気がします。
(何度も読んでいるのに今になってやっとなのか、と我ながら思う)
ただ、主人公にとって、有為子をはじめとする「女性」という存在は、完全な他者であり、客体である。
恋して、憧れて、欲望して、支配する対象。
ありのままの自分を受け入れてくれない世界の中で生きていくために、突破すべき関門として立ちはだかったりもします。
一方、私自身は主人公の彼とは異なり、生物学的にも自己認識としても女性なので、もう少し違う側面も。
私が小説の中で描いている「決して手に入らない少女」は、私がなりたくてなれなかった少女であり、恋して叶えられなかった少女であり、また、生みたくても生むことができなかった少女でもある……。
そして、まだまだ私にとっての「有為子」は描き切れていないな、ということも今回感じました。
これから書いていく中で、いつかきちんと昇華させられたら、と思います。

『花紋』(山崎豊子/新潮文庫)

『金閣寺』読了後、少し古い時代の日本の小説を続けて読みたいな、と思い、こちらをセレクト。
家族が山崎豊子ファンで、これ面白いよ、と薦めてくれました。
私も「沈まぬ太陽」などの代表作はいくつか読んでいるのですが、こちらは初めて。
戦前、戦中を舞台とした重厚な長編小説です。
才気溢れる女流歌人として、大正歌壇で活躍した「御室みやじ」。
しかしその活動はわずかな期間のみで、「昭和二年に物故」と書物には記されている。
そんな彼女が、実は戦後まで生きてきた……と、ゆかりある女性が知る。
本名「葛城郁子」という彼女が、どのような生涯を送ったのか、なぜ歌人としての自らを夭逝したものとして葬り去ったのか。
その謎を追っていく形で物語は進みます。
郁子は河内の大地主の家に総領娘として生まれ、何不自由なく暮らしていました。
ただ、幼い頃に生母が策略にはめられたような形で離縁され、新しくやってきた継母とは馬が合わず、孤独を深めていく。
歌を詠むことだけが生きがいとなり、歌壇でも認められ、やがて同じく歌人であり国文学者でもある荻原秀玲との恋に落ちます。
しかし、総領娘としての立場からは逃れられず、歌を詠むことも、そして愛した相手との未来も奪われてしまい、意に沿わぬ結婚を強いられる……。
ままならない生涯を送った女性の激しさ哀しさに、強く惹きつけられました。
また、現代の常識からすると信じられないくらいに富裕(小作人からの搾取によるものですが)かつ封建的な大地主の家のありさまも読みどころ。
しかし終盤では、栄華を誇った家は没落し、家族も使用人も散り散りとなってゆきます。
郁子が多大な犠牲を払って守らなくてはならなかった「家」とはいったい何だったのか……と思わざるを得ませんでした。

同時代の女性を描いた作品として、今とても楽しみに観ている朝ドラ『虎に翼』を思い起こしました。
『虎に翼』の寅ちゃんは、女性が思うように生きるのが難しい時代にあっても、周囲の家族や友人に恵まれ、困難を戦っていけた。
が、『花紋』の郁子は孤立無援で、自身の誇り高さだけを武器に生き抜くしかありませんでした。
そして、それすらも結局は叶わず……。
晩年は悲惨無残としか言いようがない(その中にも美しさがあるのが切なく、恐ろしい)のだけれど、そのように生きるしか、ほかに道が無かったのだろうな、と深く納得せざるを得ない。
山崎豊子、さすがの筆力に圧倒されました。

『初夏ものがたり』(山尾悠子、酒井駒子・絵/ちくま文庫)

『初夏ものがたり』、可愛い表紙

1980年に刊行された文庫本からの復刊です。
山尾悠子さん、好きな作家さんなのですが、文章も作品世界もかなり難解、という印象は否めません。
(それを読み解いていくのも愉悦、ではあるのですが)
こちらの『初夏ものがたり』はとても読みやすい!
というのが、まずは驚きでした。
山尾悠子さんの高雅な美意識はそのままに、どこか瑞々しい印象も受ける文章です。
冥府の使いらしき「タキ氏」(見た目はダークスーツをまとった日本人のビジネスマン)が、亡き人をこの世に連れてきて会わせてくれる。
ただし時間は十二時まで。
シンデレラリミットまでの短い時間、死者たちは生者とどのように過ごすのか。
全4話のうち、「通夜の客」は『少女怪談』(東雅夫・編/学研M文庫))で既読でした。
あらためて読んだけれど、やはりとっても良かった。
あるお屋敷で当主が亡くなり、通夜が催されることに。
大勢の親族たちが国内のみならず海外からも集まってごった返しています。
そんな中、大学生の勲(いさお)は銀髪の老婦人と出会う。
長年海外で暮らしていて久しぶりに帰国した、という彼女は、どこか童女めいた雰囲気の不思議なひと。
さらに謎めいた着物姿の女の子もそこに加わって、五月の夜はにぎやかに、かつひそやかに更けてゆきます。
このお話がとても好きなので、シリーズの他の作品も読んでみたいと思っていましたが、『初夏ものがたり』が収録されていた文庫本は絶版で、古書は高値。
あきらめていたところ、今回、この復刊により願いがかないました。
ほかの三話「オリーブ・トーマス」「ワン・ペア」「夏への一日」もそれぞれ素敵な物語でした。
特に「夏への一日」では、タキ氏のビジネスもいろいろ大変そうだな……という舞台裏がちょっと垣間見えたりして、面白かった。
酒井駒子さんのノスタルジックな色調の挿絵も加わって、いっそう作品世界を深く楽しめました。
まさに初夏、今の季節にふさわしい一冊です。


6月の読書日記は以上になります。
ほかに『異形コレクション 屍者の凱旋』については別記事で書いていますので、よろしければこちらも。

それでは、また。
(了)







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