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・今日の周辺 2024年 名前のない仕事をする

○ 今日の周辺
葉擦れ音が乾燥してくると、耳にも目にも、さあ冬がやってくる、という感じがする。

○ 9年目の10年日記
この8月で、19歳の頃に書き始めたこの日記は9年目に入った。
「10年日記」という商品があることを知って、15歳の頃から書き続けたく、けれど何度も途切れて続かなかった日記を書き続けることを工夫してみるようになった。

「10年日記」は10年間分の同じ日の記入欄が同じページに配されているところが魅力。「去年の今日は何をしていたのだろう」という思いが、書けそうになくても、まずは今日、日記を開かせる。書けば書くほどに、読む楽しみも増えていくと思えばなんでもないことでも書いておこう、とモチベーションがそれほど高くなくとも続くという画期的なもので、けれど私には「10年日記」自体の重厚感というか、何か失敗できない雰囲気がややプレッシャーになるように思えて、A4版のロルバーンのリングノートで自作して使っていた。

「10年日記」のシステムによって日記を書き続けることは3年ほどで主体的なかたちとなってしっかりと私の生活に定着し、それ以降は今のようにiPadの日記アプリに記録する方へ移行した。記入できる範囲が限られないことや、画像やURLも埋め込めること、過去の日記をワード検索できることなど、日記が習慣化した今となっては良いことづくめ。仕事をしている平日は、昼休みや電車の中で一旦メモに書き留めておいて、家に帰ってから肉付けしたり引き延ばして日記として記録しておくことが多くなった。

今はもうこれまでの同じ日に何をしていたか?ということに関心なくただひたすらに前へ前へ書き続けている感が強く、私にとっては記録することよりも、忘れるために書いているという役割の方が重要になっている。
3年ほど前に、iCloudのバックアップを取らずにアカウントをログアウトしてしまい半年分の日記が消え去ってしまったときはショックで言葉も出ずにしばらくうずくまっていた……。今となっては続けなくてはならないものというより、今後もしかしたら書かなくて済むようになったりするかもしれないと思えるほどに、日記を書くことは私にとってとても自然な行為となっている(しかしながら、書いてきたものが消えてしまったらまたかなりのショックを受けるとは思う)。

○ 静かな夜の映画
都度人生を自分が予想もしなかった方法で助けたり手伝ってくれる人は、恋人や家族など先んじて名前が付いている特別な間柄の人でなくとも、突然現れる。現れて、それでよく、特別でないままでいい。ただ今、気にかけてくれる人がそばにいるということが心強い。三宅唱さんの映画「夜明けのすべて」を観た。

ドキュメンタリー映画監督・佐藤真の特集上映「暮らしの思想」でようやく「まひるのほし」、「エドワード・サイード OUT OF PLACE」を観た。
公開が始まる5月頃に前売り券を買っていたのに、日々が忙しくなって上映期間を逃してしまい、前売り券が手元に残ったまま数ヶ月を過ごしたところで都内での上映が再開され、目当てだった2本を観ることができた。

知的障害のある人たちが、日本各地にある福祉施設でそれぞれにそれぞれの手法で制作をしている様子を取材した「まひるの星」。各施設の一人ひとりの作家として取り上げられ、普段施設で制作をしている様子から、施設から出て都市部のギャラリーで展覧会を行うところまでが映される。各施設でできること、採用される手法も異なっており、例えば陶芸が盛んな滋賀県・信楽の「信楽青年寮」では、伊藤善彦さんという方が作陶をし、野焼きで焼成した作品を自らの手で取り上げるところまでが映される。

制作の動機はどこに/なににあるのか?ということは作家に対してよく問われることだと思うけれど、一人ひとりがそれぞれの動機によって制作を続ける、ということが言葉だけでない態度から伝わってくる。
自分が記憶したこと、周囲から感じ取った様々なことを記録しておく、備忘録や日記のような役割として、ときに懸命に「今」を忘れないための方法、「現状」から手を離さないための工夫の数々、であるかのように目に映る。それは彼らだけでない、私にとって日記をつけることや写真を撮ること、制作をすること、にも共通していることだと感じる。

ヘラルボニーのウェブサイトに掲載されていた、滋賀県の福祉施設「やまなみ工房」の施設長・山下完和さんへのインタビュー記事で読んだ、

「あの人たちはどんなときでも温かくにこやかに迎え入れてくれる。相手のことを思いやることができ、人のことを悪く言ったりすることが決してない。こちらが何度失敗しても変わらず接してくれて、やり直すチャンスを何度でも与え続けてくれる。」

福祉界のレジェンドが語る「僕が人を100%肯定できる理由」 
やまなみ工房施設長インタビュー【前編】

「否定しない」ということが目の前に納得される90分でもあった。

また、制作から離れて、日常生活の中で起こる周囲の人々とのコミュニケーション、自らを説明する言葉に表れる戸惑いや葛藤の表情は、決して理解することができないことではない、という感じがした。それは「わかる」ということではない曖昧な感覚だけれど。

「エドワード・サイード OUT OF PLACE」、サイードのレバノンの別荘と墓地、幼少期を過ごしたエジプトを起点に、シリアとレバノン、エジプト、イスラエル、パレスチナなど近く隣り合う土地を辿りながら、サイードとその家族、またパレスチナ問題について尋ね歩くドキュメンタリー。
故郷を奪われたパレスチナ難民と、様々なディアスポラ体験の末にイスラエルに辿り着いたユダヤ人、そのどちらもに近い境遇を持たされた過去/現状があるということ。「二度と私の土地を失いたくない」という思いは「どちらか一方が」という見方をすることが不可能な問題であると思う。もう一方の存在や抑圧を認めることが、自らの生活と生きていくことを揺るがすことと極めて近く緊迫感を持ってイコールであることも感じとる。

1948年、共存していた両者の一方がそれまで暮らしていた土地を追われ難民となったが、誰もそのことについて語らない沈黙の時代があったという。子どもたち、同僚、バスの運転手……毎日そこらにいた人がいなくなったのに、彼らになにがあったのか誰も話さなかった、ということの空恐ろしさ。背景が異なるという認識が、隣り合って生きていた人たちを自身の意識から締め出してしまえることの無自覚な暴力性。

「その不安定で揺れ続けるアイデンティティを大らかに受けとめようとする人々を通して、そこにサイードが終生希望を託そうとした未来が見えると思った。「OUT OF PLACE」であることは、あらゆる呪縛と制度を乗り越える未来への指針なのかもしれない。」

エドワード・サイード OUT OF PLACE(2005) ウェブサイト
「監督から」

正統ということを疑い、矛盾を好み、自らを境界の上に置いたサイードが求めた共生の可能性を、ロードムービーとしてそれぞれの街の人びとや家庭など私的なコミュニティに身を置き、一時その一員となって耳を澄まし体感しようとする時間。


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「共事者」 また、いい言葉を知る。

「黒鳥本屋探訪」というYoutube企画で知った、出雲路本製作所の編集者・中井きいこさんの対話記事の中に見つけた言葉。

「最近、こうした関わり方は「共事者」というんだなと気づきました。当事者でもなければ非当事者でもなく、「事を共にする」ことに比重を置いている点で、私たちの出版態度と近いものを感じています。」

共創しながら場を運営する、
なはれのショップ・イン・ショップとは?


大阪旅行から帰ってきた。
大阪には、ただその一瞬出会した人に対して、思いやりや親切を向ける、ということが残っていると感じられた。例えばコンビニやドラッグストア、スーパーで買い物をするという日常的な対人において、東京では本来人にするのでないような冷たい対応が当たり前になっているような気がして、こちらとしては当然にお礼を言うと、受け取られなかったり、困惑されたりするけれど、そういったただ今だけのコミュニケーションであっても、互いにしっかりと通っているという実感がどこへ行ってもあった。
日常のそういった経験の積み重ねが、人を元気づけもするし、冷たくもするのだと思う。

大阪旅行、期待以上の経験がたくさんあって、心がいっぱいになって帰ってくる。国立民族学博物館は1日で回れるようなボリュームでなく、改めて訪れたいのもあり、また大阪旅行を予定したい。旅行以外でもこの先に縁があるといいなと思う場所になった。

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