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怪奇小説傑作選1
「怪奇小説傑作選1」を読みました。
訳:平井呈一
ネタバレ注意!
この記事にはネタバレが含まれます。
収録作
「幽霊屋敷」 ブルワー・リットン
「エドマンド・オーム卿」 ヘンリー・ジェイムズ
「ポインター氏の目録」 M・R・ジェイムズ
「猿の手」 W・W・ジェイコブズ
「パンの大神」 アーサー・マッケン
「いも虫」 E・F・ベンスン
「秘書奇譚」 アルジャーノン・ブラックウッド
「炎天」 W・F・ハーヴィー
「緑茶」 J・S・レ・ファニュ
収録作の文字数
1行の文字数×1ページの行数×ページ数の概算。
正確ではない。
「幽霊屋敷」 5万
「エドマンド・オーム卿」 4万
「ポインター氏の目録」 1万4千
「猿の手」 1万7千
「パンの大神」 6万8千
「いも虫」 1万2千
「秘書奇譚」 4万3千
「炎天」 7千
「緑茶」 4万3千
以上、だいたい30万文字。
昔の文庫本は普通の厚さでも30万文字あったのか。
昔の本はフォントが小さいから今よりも文字数が多いとは思っていたけど、これほどとは思わなかった。
感想
**総論
創元推理文庫の「怪奇小説傑作集」シリーズは、20歳の頃に全巻読んでいます。
それ以来の再読となります。
この第1巻に関して言うと、収録されている作品はどれも古典的名作として評価の定まった物ばかりで、さすがに手堅いスタンダード・ナンバーのベスト盤といった感じです。
古典的名作ゆえ他のアンソロジーにも入っている事が多いので、翻訳の違いを比べる楽しさもあります。
百年以上も前の外国の話です。正直、現代日本に生きる僕らがリアルに感じられる怖さは薄い。
「猿の手」なんかは余りにも有名すぎる作品ですから、殆どの人は「この話、知ってる、知ってる」という以上の感想が湧いてこないと思います。
それでも「パンの大神」「秘書奇譚」「炎天」には、何回読んでもゾッとさせられる何かがあります。
現代日本の「実話怪談」とはまた違った方向性の「ゾッとする感じ」です。
今、僕が思いついた仮説ですが、古典的な怪奇小説には「登場人物の思考の怖さ、世界の有り様の怖さ、人間の怖さの延長線上にある化け物の怖さ」が有るのかも知れません。
**平井呈一の訳について
20歳の時には気づかなかったのですが、あらためて読み返してみると、やはり平井呈一の文章は独特ですね。
戦前の探偵小説に通じる雰囲気があります。
そして、どこかしらユーモラスというかコミカルな感覚もあります。
平井訳に関しては賛否あると思いますが、日本語として抜群に読みやすい文章だな、と個人的には思いました。
**お岩さんと貞子
小説の内容とは関係ありませんが、あとがきに「へええ、そうなのか」と考えさせられる一文があったので紹介します。
こんにちでは『四谷怪談』が歌舞伎の舞台に上演されると、観客はお岩の幽霊を見て笑うそうでありますが、(後略)
恐怖の対象であるべき幽霊が登場すると、逆に観客が笑っちゃう……て、「リング」シリーズの貞子じゃん、と思いました。
「怪奇小説傑作選1」は1969年に出版されています。
50年以上も前、「四谷怪談」のお岩さんの身の上に「リング」の貞子と同じ現象が起きていたんですね。
それでは、各収録作の感想を述べたいと思います。
**「幽霊屋敷」
前半と後半でジャンルが変わるというか、ギアチェンジする感じが有ります。
前半は、豪胆な主人公がわざわざ幽霊屋敷に泊まって、肝試しをするという定番の話。
後半は、怪人ものというか、人間でありながら同時に悪魔的な能力を持つ男に魅入られるという話になります。
**「エドマンド・オーム卿」
主人公(語り手)と美しいヒロインとの恋愛が描かれ、かつてヒロインの母親が若い頃に振った男が幽霊となって現れます。
母親が振った男が幽霊になって娘の恋人の前に現れるという設定は、なんか理に適っていないというか、納得しづらかったです。
ラストで母親が幽霊に呪い殺されるのですが、主人公とヒロインが目出度く結ばれるというハッピーエンドでもあるため、幸せで怖さが中和されてしまった感があって、それってホラーとしてどうなんだ? と思いました。
作者のヘンリー・ジェイムズは、Jホラーに影響を与えた映画「回転」の原作者でもあります。
朦朧法という表現法の提唱者。
あとがきによると、朦朧法とは「全部はっきり書いてしまわずに暗示にとどめておく」という手法の事だそうです。
**「ポインター氏の目録」
呪われた道具もの。
あとがきによると、作者のM・R・ジェイムズは「恐怖小説の本当の味は短篇に限る」と言っていたそうです。
百年も前から「恐怖小説は短篇」と言われていたんですね。
**「猿の手」
説明は不要でしょう。
ほぼ全人類が知っている、あまりにも有名な話。
主人公の老夫婦が家のローンの支払い中で、ひとり息子は工場労働者という、わりと現代的な設定。
**「パンの大神」
こちらも言わずと知れた名作中の名作。
この小説の怖さのポイントって何処に有るんだろうと時どき考えます。
冒頭の脳外科手術が、いきなり怖い。この冒頭が全体のムードを決定づけているのでしょうか?
脳外科手術シーンの何が怖いって、非人道的な脳外科手術を考案し執刀する医師の、あまりのカジュアルさです。
若き医師を完全に信頼しているスラム街出身の孤児の少女に対し、罪の意識の欠片も無く、あまりにもカジュアルに酷い手術を施す医師が恐ろしい。
この物語は、新約聖書の「処女懐胎」の悪魔バージョンという見方も可能でしょう。
と、書いているうちに思ったのですが、映画「オーメン」第1作も「処女懐胎」の悪魔バージョンという見方が出来そうです。
平井呈一の訳は、読みやすかったです。
**「いも虫」
短いですが、印象的な小説でした。
**「秘書奇譚」
こちらも言わずと知れたブラックウッドの名作。
現代ホラー映画にしばしば見られる
「仕事で一軒家を訪ねたら、家の主人がヤバい奴だった」
タイプの原点は、この小説かも知れません。
(いや、ドラキュラが最初か?)
**「炎天」
先日、僕が読んだ「五本指のけだもの」に収録されていた「炎暑」の、平井呈一訳バージョンですね。
正直に言って、この「炎天」に関しては、平井訳は合っていないと感じました。
横山茂雄訳の方が良かったです。
**「緑茶」
こちらも、言わずと知れたレ・ファニュの名作。
小猿の幻に悩まされる男の話。
1945年刊行の短編集の表題作。
20世紀前半は、疑似科学的(SF的)合理性と怪奇小説との合一が試みられた時代だったのかも知れません。
レ・ファニュって、なんかフランスっぽい名前ですが、アイルランドの貴族の家系らしいです。