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TRE日誌⑥「流れる水は止めない」
「がまん」をする人はとても多いんだなぁ、と思うこの頃です。
この「がまん」とは、
自分の内側にある水流、本来は自然と流れ出るその水を無理にギュッと自分の手でせき止める、ようなものです。
出せない水はどうなるか?
私のイメージだと、溜まった水はどんどん腐ってゆき、
他の組織へと浸透して、知らず知らずに蝕んでゆく・・😱
TREのセッション中に、クライアントさんの身体が出したがっている、涙や咳、呼吸などをその直前でぐっと堪えるというシーンをたまに見かけます
(特に初回)。
そんなふうに、なぜ自分で止めてしまうかというと、
出してしまうとまずいことが起こる!と、脳の一部が勝手に働き、ご丁寧にも守ってくれてるんですね。
(だから我慢は悪い!と思わなくてよいのです)
・・・と言いながら
私も全く人のことを言える場合でもなく。
はっと気づくと、死ぬ一歩手前ぐらいな勢いで我慢し続け、
鏡に映る紫色の顔の自分を見て「は!」
ぷは〜!ゼーゼーなんてことも。
先月もこんなことが。
たった数時間前まで元気だった友人が突然亡くなった。
という知らせを受けたのは2025年始まって、最初の満月の夜でした。
どうしても信じたくなくて、
そして悲しむことも怖くて、
娘にも亡くなった彼女のことをちゃんと伝えられず(亡くなった彼女は娘の同級生のママ)
ナチュラルに解離しながら(←私の得意技)数日を過ごしていました。
身体の胸のあたりに真っ黒い小さな空洞があるな、、、と
その空洞の存在を気にしつつ、迎えたTREのモニターセッション。
集中集中!って頑張ってグラウンディング&センタリング
(いや、そもそもそこは頑張るもんじゃね〜と自分へツッコミw)し、
整えなんとか無事に終えた後、
ふと、亡くなった彼女とのLINEやりとりを見てたらスイッチがようやく入りました。
横隔膜、胸、喉と顎が震え、涙腺が通り、
心身にチャージされていた不必要なエネルギーを声と涙で出すことができました。
「なんで死んじゃったの?」
「どうして子供を残して行っちゃったの?」
と口から出てきたとき、
「悲しみ」とともに「怒り」も含まれていることに気づきました。
残された彼女の娘さんと幼き頃の自分が重なって、共鳴しているのがわかりました。
その間30分くらいでしょうか。
そんな身体の自然なリリースが起きた後、私の胸のあたりにあった小さな空洞は
なくなり、薄く靄がかかっていた頭もスッキリしてきて、
友人を失った「悲しみ」はまだもちろんあるけど、
その「悲しみ」自体の質が変わった。
「私の内側にある水がまた流れ出した」
そんな瞬間でした。
TREで行うのは、このような
身体の中にある、不必要なエネルギーを外へ出してあげる、というものです。
人生生きていれば何かしら起こるものですが、私たちは「大丈夫である」という
小さな経験の積み重ねをしていく。
ただ、気づいていく。
TREってこの経験に寄り添うようなものなんだと思います。