僕も嘗ては「サラリーマンになりたくない大学生」でした。
表紙のこの写真は僕が大学生の頃、
ヨーロッパを旅して、ユーラシア大陸最西端の地に降り立ち
めちゃくちゃスカしている様子(笑)
そんなイケイケの大学生を気取っていた僕によく似た大学生の男の子から、
先日、僕のインスタグラムにこんなメッセージが届いた。
このメッセージを見た時、
「大学生当時、僕も同じような事を考えていたな」と当時をふと思い出した。
だから、彼が感じていることは何となく理解することが出来た。
だからこそ、
「何とか伝えたいメッセージが幾つかある」と、心の中で考えを巡らせた。
(彼のことを、以後A君と呼ばせていただく)
何故ならば、現在の僕は
サラリーマンとして毎日、非常に楽しい日々を送っているからだ。
僕が大学生当時イメージしていた「毎朝、満員電車に揺られる、死んだ魚のような目をした、スーツ姿のサラリーマン」とは違って、
お気に入りのビジネスカジュアルな服を身に纏い、毎日ウキウキした気持ちで通勤し、楽しく働く事が出来ている。
とは言っても、
現在に辿り着くまでに色々な経験と苦悩をしてきており、
最初から楽しいサラリーマン生活を送ってきたわけでは、全くない。
だから、A君に「サラリーマンはめちゃくちゃ楽しいよ!」なんて伝えても、非常に虚しいだけだと思っていた。
楽しいサラリーマン人生を送れるかどうかは、運も大きく関係すると感じているからだ。
だから、せめて僕のように
「A君も、色んな壁にぶち当たりながらも、最終的に楽しいと思える彼なりの人生を送れると良いな〜」
という、淡い期待を心の中で温めるに留まっていた。
しかし先日、
Newspicksのとある番組の中で、国内最大のクラウドファンディングプラットフォームCAMPFIRE創業者の家入一真さんの話を聞いて、
「僕の場合は、サラリーマンになっておいて、本当に大正解だったな」と改めて感じることがあった。
だから今回、A君のような、そして昔の僕のような
漠然と「サラリーマンになりたくない」と感じている学生の方々に向けて
少しだけ社会人の話をしてみようと思い立った。
*
学生がしばしば持つ”危険な”認識
学生時代、学校に向かう途中、
電車で見る生気のないサラリーマンの姿を見ながら
「絶対に、ああは成りたくないな」といつも考えていた。
これに関しては、多くの学生が同じような感覚を持っていることだろう。
だからいつしか、A君のように
「サラリーマンにはならず、自由と夢を追い求めたい!」
という風に、サラリーマン以外の道に大きな希望を見出す。
確かに、メディアに目を向ければ、
国会議員の不祥事やら、会社内のパワハラ・セクハラやら。
働くサラリーマンがかっこいいという発信がなかなか見られない。
だから、希望に満ちた人生を夢見て、
「俺は、フリーランスとして働いて、楽しく過ごしたい!!」
と言い出すのだろう。(あくまで、僕の単なる憶測ではある)
だがしかし、残念ながら
「フリーランスは楽しい。サラリーマンは楽しくない」という風に、
「楽しいかどうかは身をおいた環境に依存する」と考えてしまっている場合は、
フリーランスになっても、楽しい人生を送ることは”間違いなく”出来ない。
まずは、その誤った認識を正す必要があるだろう。
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楽しく働けるかどうかを決定づけるのは「自分自身」
「楽しく働けるかどうかを決定づけるのは、自分自身」
恐らく、この言葉を聞いてほとんどの人が、
「それは、何となく承知しているよ」と思っただろう、世俗的に。
では、なぜそのように言われるのかを考えてみよう。
この文脈での”自分自身”という言葉には、
「期待値」と「ドーパミン」という2つの要素が大きく関わってくる。
*
「期待値との差分」のマネジメント
「期待値との差分」と聞いても、ピンと来ない人が多いだろう。
だが実は、僕たちの人生の幸福度は「期待値との差分」と深い関係性を持つ。
どういう事か?
僕たち人間は、基本的に脳内で、様々な予測や期待をしている。
そこへ外部からの外刺激、あるいは「自分が考えること」などの内刺激が脳に入ってくる。
これらの刺激はある種、”結果”と捉えることも出来るだろう。
すると、予測と結果の2つのエレメントによって、「期待値との差分」が生じる。
そして、この「期待値との差分」が、ポジティブなのか将又ネガティブなのかで、脳内で分泌される神経伝達物質が異なるのだ。
「なんか、意外と良かったね」と感じた時や
「思っていたより全然良くなかった」と思った経験が誰しもあるだろう。
この”意外と”や、”思ったより”がまさに「期待値との差分」と言える。
これを、A君に当てはめてみる。
「俺は、サラリーマンにならないで、楽しく過ごしたい!!」という
「フリーランスになりさえすれば、楽しく過ごせる」と考えているように思える。
この過度に思われる期待値は、よっぽどの成果が伴わない限り、ネガティブに裏切られることになる。
これでは、悪い部分や気に入らない仕事に対する不満ばかりが目につき
仕事は楽しくない上に、人生の幸福度も下がる危険性が高い。
だからまず、自分自身で予め「期待値のコントロール」をする必要があるというわけだ。
これが「楽しく働けるかどうかを決定づけるのは、自分自身」と言われる理由の1つだろう。
因みに、成功した企業家やあるいはビジネス書でよく言われている
「失敗は成功のもと」「ピンチはチャンス」という言葉
これらは非常に好ましいマインドセットであろう。
チャレンジした事に対して常に低く期待値を設定している事で、無駄なストレスを感じることもなく、すぐに新たな挑戦を続けられる。それが彼らの成功に繋がっている。
更に余談だが、
この「期待値のコントロール」は人間関係構築においても非常に重要である。
職場の仲間、友人、恋人、家族、様々な人間関係の中で、異常なストレスを抱えている場合、
相手にも問題があるかもしれないが、恐らく自分の期待値の設定にも誤りがある可能性が高い。
本当に嫌いな人で離れる事が叶うなら、離れて一件落着なのだが。
そうは出来ず、一緒にいなければならない人間関係なのだとしたら、
今一度、相手に対する「期待値の設定」を見直してみると良いだろう。
高すぎる期待値の設定により、自らで勝手にストレスを溜めてしまっている場合もあるので。
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「ドーパミン」の役割を理解する
本題に戻ろう。
「楽しく働けるかどうかを決定づけるのは、自分自身」
この言葉と関連するもう一つの要素が、「ドーパミン」である。
ドーパミンは1から説明すると奥が深すぎるので、詳細については割愛するが、
覚えておいてもらいたいのは、「ドーパミン分泌はモチベーションを高めるため、ひいては学習効率を高めるために非常に重要である」という事。
ドーパミンというのは、新しい学びや行動を起こす際に分泌される。
その際、新たな行動から情報や学びを得ると「脳内アヘン」とも呼ばれるβエンドルフィンも合成される。
この2つの神経伝達物質により、新しい挑戦に対してオープンマインドであり、尚且その経験を楽しむ事が出来る状態を作ることが出来る。
つまり、言い換えると「モチベーションが高い」状態である。
さらに、ドーパミンには学んだ事を定着させる(神経細胞の結びつきを強化する)役割もあるため、高い学習効率の実現に繋がる。
まとめると、「ドーパミンの分泌を支配すれば、自分自身のモチベーションコントロール&学習パフォーマンスUPをすることが出来る」というわけだ。
そして、このドーパミン分泌のためにするべき事というのが、
「外部から設定された目標以上の高い目標を、自分で設定する」ことである。
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必ず自らで目標を設定する
電車で見た死んだ魚の目をしていたサラリーマンは、会社で決められた目標を達成するために仕事をしている場合がほとんどだろう。
自分で目標や目的を設定せず、所謂”やらされている”仕事”に日々追われている状態ではドーパミンの分泌は望めない。
これでは、モチベーションが上がらないどころか、ノルアドレナリンという神経伝達物質優位となり、最終的に「ストレスが溜まりやすい状態」になってしまう。
そうならないために、
「外部から設定された目標以上の高い目標を、”自分で”設定する」ことが重要だ。
その目標が実現が難しいものであったとしても、自分で設定し、自分の選択でそこに向かって努力する。
その上でこまめに、「内省」の時間を設け、進捗状況を確認すると良いだろう。
そうすることによって、結果からだけではなくプロセスからもドーパミン分泌の機会を得られるため、モチベーションコントロールに大いに役立つ。
さらにドーパミンの効果により自ずと学習効率も高まり、最終的なパフォーマンス向上にも繋がるという好循環になり得る。
だから必ず、外部から設定された目標以上の高い目標を、”自分で”設定する。
この2つのポイント、「期待値のコントロール」「自分自身での目標設定」
これが出来さえすれば、サラリーマンになろうが将又フリーランスであろうが、どちらでも楽しく働くことが出来る。
逆にこれが出来ていないと感じるなら、フリーランスかサラリーマンかと考える前に、自分自身と向き合う事からスタートする必要がある。
是非、一度自分自身の状態を確かめてみてもらいたい。必ず役にたつだろう。
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サラリーマンだからこそ出来ること
それでは、ここからは「サラリーマンになるメリット」について考えてみたい。
僕が考える「サラリーマンだからこそ出来ること」というのは
・お金をもらいながら失敗経験を積めること
・失敗をしながらも依存先を増やせること
この2点である。
1点目の「お金をもらいながら失敗経験を積めること」に関しては、言葉の通りであるが。
プロジェクトの立ち上げにしても、新技術開発にしても、或いは単なるカンファレンス開催にしても、様々な業務をお金を頂きながら仕事が出来る。
その企画が失敗に終わったとしても、それを「学びの経験」にする事ができるのがサラリーマンである。
当然場合によっては、上司から詰められたり指導を受ける事があるだろうが、自分自身の資産を大きく失ったり死に追いやられるなんてリスクはない。
何かを成し遂げるにあたり失敗なくして成功はあり得ない。
これはビジネスでも同じことであり、経済界においてビジネスの形を学び、会社のお金で失敗を経験出来るサラリーマンは間違いなく”お得”である。
よっぽど個人としての”信用”が高く、クラウドファンディングなりの手段で周りから支援を受けながら挑戦が出来る人であれば、話は別である。
まあそういう人であれば、「サラリーマンになりたくない」なんて事を言っている暇もないのだろうが。
そして、2点目の「失敗をしながらも依存先を増やせること」に関して。
依存先と増やすというのは、「支援してくれる仲間を増やす」ということ。
冒頭で少し触れたが、CAMPFIRE創業者の家入一真さんは、東京大学先端科学技術研究センター准教授 熊谷晋一郎先生の言葉を借りてこのような話をしていた。
『自立とは「依存先を増やすこと」である』
「自立」というと多くの人が、「一人で何でも出来るようなること」と考えがちである。つまり「誰にも依存しなくなること」と考える。
しかし、本当は全く逆で「依存先を増やすこと」、言い換えれば「支援してくれる人を増やすこと」、これが「自立」である。
僕たちもビジネス界で自立する時、それはフリーランスになる時かもしれないし、企業する時かもしれない。
いずれにしてもその時に依存先がなければ、ほとんどの場合、道半ばで頓挫して身動きが取れなくなる事がほとんどだろう。
だから「支援してくれる人を増やすこと」は間違いなく重要だ。
これをサラリーマンであれば、会社からバックアップを受けながら行えるわけだ。
たとえそのプロジェクトが失敗に終わったとしても、そのチームワークの中で自分の実力を発揮し、バリューを提供していれば「またこの人と仕事をしたい」と思ってもらえるだろう。
そうしたコネクションが「自立」の際に有るか無いかで、大きく違ってくる。
更に言うと、これから事業を立ち上げたり、会社を起こす場合、日本国内だけを視野に入れている会社であれば数年もすれば終わる、間違えなく。
つまり、今後は海外展開を当然のように視野に入れてビジネスをしていくわけだ。
この場合でも、サラリーマンであれば(その会社によるが)海外のメンバーと共にワークし、コネクションを作ることも可能だ。
僕の場合も、留学期間で出来たコネクションよりも、仕事を通して接触し構築された関係の数の方がさらに多い。
尚且国籍も様々なため、色々な方向性に対してアプローチが出来るわけだ。留学時代は、カナダ人と韓国人、台湾人など偏ったコネクションしか出来なかったが。
こうした「支援してくれる人を増やすこと」を学生時代に十分に出来ている人はサラリーマンにならずとも自立出来るだろう。
しかし、そうでは無いと感じる場合は、自分にとって「サラリーマンになることは大きなメリットを持つ」という事をよく覚えておいてもらいたい。
*
最後に
以上、
「サラリーマンになりたくない大学生」から
「毎日非常に楽しく働くサラリーマン」になった僕が、
学んだこと・感じていること・実践していることを踏まえた「サラリーマンのお話」でした。
少しでも多くのサラリーマンに漠然としたネガティブなイメージを持った学生に、僕の思いが届くことを願っている。
写真は、僕がサラリーマンとして”旅”のような海外出張に行き、秘境で撮った1枚の写真。つまり、サラリーマンでも旅は出来る。
※因みに、社会は素早く変動しているので、サラリーマンとして働き続けることが何年後も変わらず幸せと考えるのは危険。
いつの時代も変化に対応出来る準備と気構えを。
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