小説 空を見上げれば(上)61
こんばんは。小説家の藪田建治です。
今日はOFFでした。皆さんも日曜日なので休みの方が多いですかね。明日からの仕事嫌ですよね。私も同じです。でも今日はそのことを考えずにいましょう。休みの日は休みの日で充実させる。
さて小説をアップします。
翌朝学校に行くと、クラスの誰もが余所余所しい。一瞬で何が起きたかを理解した。本当は理解していなかったのだ、いや理解する気もなかった。自分を悪く言った私を憎み、そして攻撃の対象を私に向けた。
もうそれならそれで良い。その代わり渚とはずっと仲良くしていく。渚はどうだろう。攻撃されているのかな。浮くのは私だけで十分。
理穂はクスッと笑っている。もう昨日から考えていたんだろうな。自分が負った恥を返す。これが復讐の形。もちろん腹立たしい。でもそれ以上に寂しい。どうしてこんな形でしか返せなかったのか。素直に自分の過ちを認めて、私に言葉がきついと言ってくれればそれで良かった。
それに周りの子達は自分を持っていないのかな。大事なのは他人がどうというより自分がどうしたいのか。自分の意見を持たずに、周りに流されていては自分自身を見失う。
そんな人間といるくらいなら1人で良い。向こうから話しかけてくるなら話すけど、私からは何も話さなくても良い。孤独でも良い。
席にさっさとつくと、周りの音を遮断させる。授業までやることもないから、今のうちに予習でもしておく。窓際ではこっちを見ながらヒソヒソと話している。嘲笑と同調がこの教室にはある。
私はもう学生から離れてもう長い時間が経っていますが、今の時代ではこういうケースって中にはあるのではないでしょうか。SNSを通して、他のクラスメイトなどに根回しして、誰か1人をいじめの対象として攻撃する。ターゲットにされた人が知らない間に事が進んでいる。
これは同僚の子供さんの話を元にしました。でも学生のみならず、仕事場でも似たようなケースってないでしょうか。さすがにSNSを通じてというのはないかもしれませんが、狭い空間だから起こり得ること。
私はこういうことにかなり嫌悪感を抱きます。職場でもよく誰か1人に陰口を言っている場面をよく見掛けますが、内容を精査すると全くどうでも良いような話だったりします。でも言っている本人は、第3者がそれを聞いた時になんと思われるか気付かない。
言われている対象者でも不幸ですが、言っている人も不幸ではないでしょうか?ではこの場面で言えば、確かにターゲットにされた有紀も不幸です。同じ空間で過ごさなければならない状況の中で、完全孤独の状態、それは誰がどう考えても不幸です。しかし一方で理穂を中心とした加担した側に目を向けても、それを本心から喜べているでしょうか?私はそうは思えません。だとすれば誰にとっても幸せとはならない。ではなぜこれをやる意味って何でしょうか?
大人もそうですが、学生時代も自分の非を認めるというのはすごく大事だと思います。これは当然私にも当てはまります。私の課題でもあります。ファッションインフルエンサーでプチプラのあやさんが仰っていたことですごく良いなと思ったことがありました。
それはあやさんが妹さんと喧嘩された時、いつも妹さんから謝るらしいのです。それであやさんが妹さんの好きな性格が、この自分から謝るところと仰っていました。
皆さんはこれが素直に出来るでしょうか?上の話にも通じますが、私はなかなか出来ない。自分が悪いと心では分かっているのです、でも謝ることが出来ない。なぜか?私の場合は見栄です。そんな見栄などなくていいはずなのに、そのしょうもない見栄が邪魔をして躊躇わせる。
これは他の人にも当てはまる人がいるのではないでしょうか?私はこの理穂に足りなかったのは、この非を認めるところ。
私も改善していこうと思います。皆さんも1度考えてみて下さい。
さて小説全編を読んで頂ける方は下記のURLよりお願いします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?