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琉球王国の歴史② #うちなー #尚巴志の死

琉球王国の統一を成し遂げた尚巴志が1439年に亡くなりました。
尚巴志というカリスマを失い統一された琉球王国がばらばらになり始めました。
尚巴志の死後、尚巴志の子孫が短命で王権が安定しなかったり、親族同士で王位継承争いがおきたりしたため不安を持った各地の按司たちによる反乱が頻発するようになったのです。

そして1470年に金丸という琉球王国の政府の役人が反乱を起こしその時の国王の尚得を殺害し王位に就き、自らを尚円と名乗りました。
※尚一族の家系ではありません
尚円は本物の尚一族を殺害していくことでその地位を確実なものにしていきました。

その後、中国に国王任命式を行ってもらい正式に琉球王国の国王として即位しました。
琉球王国の歴史ではこの二つの血筋を区別するために
尚巴志の一族を第一尚氏、尚円の一族を第二尚氏と呼びます。

尚円は按司たちの反感を買わないように各地に散らばっていた按司たちを首都の首里に住まわせ官僚としての仕事をさせました。それまで按司達がいた各地には政府の役人を派遣して地方を治めさせました。
尚円はさらに按司達に対して国に奉仕した者程、位を上げ、高位の物は優遇しました。位はかんざしやハチマキで区別し権威を高めさせました。

第二尚氏の時代は130年ほど続きましたが、17世紀に入った頃に琉球王国の環境が急変します。

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