琉球王国の歴史#沖縄 #旅日記
前回の続きです。
1429年に琉球王国の統一に成功した尚巴志(しょうはし)は琉球王国を栄えさせていくために中国との関係を重要視しました。
琉球王国は中国と朝貢貿易を盛んに行い国華を反映させていきました。
※朝貢貿易とは朝貢国が中国へ貢物を献上し、中国が見返りに高価な返礼品を返す貿易
琉球王国は硫黄や馬、海産物や布など琉球王国の特産品を中国に大量に献上しました。
中でも火薬で使う硫黄や兵士が乗るための馬が大半を占めておりました。
中国にとって軍事物資はあればあるだけ喜ばれる事を尚巴志は知っていました。
その結果他の服属国と比べても琉球王国は中国に気に入られていたのです。
中国に気に入られていた琉球王国は無制限に朝貢貿易をすることが許されていました。この頃日本も朝貢貿易をしていましたが、日本は10年に1度だけでした。
また、中国は民間の貿易を禁止していたため陶器などの中国製品は希少価値が高く世界中で高値で売ることができました。
朝貢貿易でしか手に入らない中国製品ですが、朝貢貿易を無制限に許されていた琉球王国にとっては独り勝ち状態です。琉球王国はこの転売システムにより栄えていました。
中国との関係が何より大事な琉球王国は中国からの使者を迎え入れる時には手厚いおもてなしをしました。
もてなすための首都の首里城の入口には立派な門を造るなどして豪華にしました。
そして何度も何度も宴会を催し国賓として盛大に接待しました。このときに生まれたのが三線や泡盛、琉球舞踊です。
このように中国の関係により栄えた琉球王国ですが、一方国内状況には暗雲が立ち込めていました。
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