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やる気に頼っている自分。動機づけにフォーカス。
やる気に満ち溢れていたとき、今もそうだが何回もやる気に満ち溢れた経験はあります。皆さんも同じくやる気がある時、ない時を経験しているはずです。
やる気があることがいいこと、無いことはダメなこと。
こんな認識をしていました。
でも、違うんです。
やる気がないことは、そのAという事象に対して行動する動機がないだけ。
やる気は動機づけが重要
例えば、勉強せずにゴロゴロしている夏休みの中学生の息子を叱る親。
「勉強すること=いいこと」と認識している方がほとんどであるため、勉強に対してやる気がないように見える中学生の息子に対して、マイナスな印象を持ち叱ってしまう。
しかし、中学生の息子は、勉強することよりゴロゴロする方が楽だと思っているから、勉強よりゴロゴロを選んでいるのです。
つまり、「ゴロゴロ>勉強」という動機づけの序列が付いているということがいえます。
教える人、伝える人は、勉強の価値をゴロゴロを選んで行動している子どもに伝えなければならないです。
動機付けをしないで、「なんでやらないんだ」と注意することは無責任かもしれません。
やる気に繋がる動機づけの3つの行動
動機づけには、3つの行動から成り立ちます。
「認知」
「情動」
「欲求」
です。
認知とは、たとえば、サッカー未経験者が「リフティング1000回する」ことをイメージできるでしょうか。やる気どころかすぐに諦めてしまうでしょう。
しかし、高すぎると思ったハードルでも、「認知」次第で、越えられます。
まず、サッカーボールを目の前にして、リフティングを10回目指すとします。「これなら少し頑張れば、できそう!」と思う方が多いのではないでしょうか。
人は、「これなら自分でもできる」「これは将来に確実に役に立つ」と認知すれば行動に移します。
逆に、「これは自分には無理」「なんの役にも立たない」と認知すると、行動を止めてしまいます。
教育者や子育て中の親は、教えられる側の人や子どもに前者のように認知させることを常に意識する必要があります。
自分や相手が、目の前の事象に対してどのように認知しているかを常に知っておくことが重要です。
次に、情動とは、いわゆる感情です。
感情が高まって「テンション上がるわぁ」の状態であり、テンションが高まっている状態でないと、何事も続かないものです。
やりたくないことをやらないといけない時に長続きしないことは、人間ならば当たり前の話ということが分かります。
最後は、欲求についてです。
欲求とは、「本当に自分がそれをやりたいと思うかどうか」です。
新しいことにはテンションが上がりますし、楽しければ楽しさが増します。しかし、一時的なテンションに判断を任せたとき、なぜこんなことをしてしまったのだろうかと思う方も少なくないはずです。
このような一時的なものは、動機づけにはなりません。
本当に心の底から続けたいと思う気持ちがあるのかどうか、つまり、ある程度安定した心理的エネルギーとしての欲求があることではじめて、動機づけすることができます
認知・情動・欲求を体感したとき
自分が動機づけを感じた瞬間は、空手で勝ちたいという思いを持って、実際に行動したときです。
ある時、空手の試合で勝てなくなった時期がありました。
原因は、何だろうか。
何も気づくことができませんでした。
でも理由は単純でした。
「練習を真面目にしなかった」からです。
ものすごく重要なことを認知しました。
認知したことで、練習に向き合うようになり、少しずつ勝てるようになりました。すると、だんだん面白く感じるようになり、「情動」が刺激されてさらにテンション上がります。
さらに、自分は「○○くんに負けたくない」という強い欲求を持っていたので、動機付けが持続することができました。
それでそこら辺では負けない強い実力を得ることができました。
大きなことを成し遂げるためには、大きな動機付けが必要であり、継続的に動機づけしなければなりません。
自分は、動機づけを常にできるような人間でありたいし、見えなかったものが見えるようになり、目標まで走れるようになる人が周りに増えるように、自分で能力を磨いていくしかないと思っています。
さぁ、やろうか。
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