仕事のモチベーションなんて、金でも食でもエロでもなんでもいい
森岡毅『誰もが人を動かせる!』を読んでいます。
自分のためだけなんて、趣味なら構いませんが、仕事でそれだとやりがいがなくてヤル気が出ない。すでに私が働く究極の目的が、「個」ではなく、「公」の方にズドン!と突き刺さっているからです。「公」とは本気で守りたい共同体のこと。今の私にとっては、仲間たちと一緒に創り上げた舟である「刀」であり、私の大切な人々を育んでくれる「日本」です。
自分のため"にも"働いていると言えるのは、己の芯棒を「個」ではなく「公」に刺していることがプロとしての誇り(自己満足)であり、自分を確かにハッピーにしているからです。 (P.212~213)
マーケターの森岡毅さんは、私が最も尊敬する人のうちのひとりです。
森岡さんが働く目的は、「会社や日本の役に立つこと」と「プロとしての誇り」、とのこと。最高に熱い方です。
「会社や日本への貢献」「プロとしての誇り」といったことを目的、モチベーションに働けることはすばらしいことです。
ですが私は、みんながみんなこうである必要はないと思います。
「自分がお金を儲けるため」、「自分がほめられるため」に働いたって、他人や組織によっぽどの迷惑でもかけない限り、個人のキャリア的には問題はないと思います。
モチベーションがないよりよっぽどマシです。
自分自身がモチベーション高く働けて、満足感を得られるのであれば、自分のために働こうと、共同体のために働こうと、どちらでもいいのではないかと思います。
充実感を得られているのであれば勝ちです。
充実感を得られているのであれば、です。
もし、日々の仕事の中で満足感など全くなくて、苦痛・無気力な時間を過ごしているのであれば、それは問題です。
いくら給料や待遇が良かろうと、粗悪な時間の過ごし方をしているのであれば、「それってどうなの?」と思ってしまいます。
1日の中で、人生の中で、ほんとうにたくさんの時間を使う「仕事」の時間を、死んだような気持ち、状態で過ごすのは、これ以上ないぐらいもったいないことであると感じます。
自分が死ぬ瞬間までの「時間」は、お金よりも、何よりも価値のある財産であるはずです。その中の多くを占める「仕事」の時間を、苦役として浪費することは、無駄遣いに思えてなりません。
自己満足でも他者貢献でも、金でも食でもエロでもなんでもいいので、「仕事」の時間に有意義な意味づけさえできれば、仕事に多少の充実感が生まれるのではないかと思います。
・私は何のために仕事を頑張るのか?
・自分以外の何のために、自分は頑張るのか?
何はともあれ労働は義務ですが、それを単に「義務」として過ごすのか、自分なりの意味づけをするのかは、その人次第です。