アドリブでたどり着く文章
小田嶋隆『小田嶋隆のコラム道』を読んでいます。
もちろん私は小田嶋さんほどの書き手ではありませんが、執筆前に書くメモと実際の執筆の出来の関係に関して言えば、小田嶋さんと同意見です。
私はいつも、普段読んでいる本からいくつかの文章を引用させてもらい、それをもとにしてnoteを書いています。
書き方はいつも同じで、まず紙のノートで内容をメモして、そのあとそれをPCで書き起こす、という流れです。
ちなみに、今回書いたメモはこんな感じです。
私が書いているのはコラムとは違ってエッセイ的な内容ですが、それでも毎度メモ書きをしてから文章を書く人間としては、メモそのままの文章の出来があまりよくないことを知っています。
私の場合は、紙のノートの上で文章の内容がある程度まとまります。
書き出しからはじまって、それなりに結論めいたものまで、一旦は確定し、着地します。
ただし、それをそのまま書き起こした場合、悪くはないものの、小さくまとまってしまっているような、おもしろみに欠ける文章ができあがります。
(プロでもないくせに、自分が書いた文章を読んで「これはおもしろみに欠けるな」なんてことを考えているのです)
なので私はいつも、紙のノートの内容を書き起こしつつも、「もっと気のきいた内容にならないだろうか?」と頭をひねらせながら、紙の上にはない文章をアドリブで書き散らしているのです。
紙のメモ書きよりもマシな文章が出てくることを期待して、祈りながらキーボードをたたいている感覚です。
今書いている文章も同じで、PCのとなりにメモ書きのノートは開いていますが、もうそこに書いてある内容からは逸脱しており、今に至っています。
当初あった「こういうことを書こう」という思いからどんどん逸れていき、結果として「まあ、これはこれでありだな」というような文章ができあがるという経験は、何か文章を書く人であれば、多かれ少なかれ持っているのではないでしょうか。
アドリブの文章は、うまくいくこともあればいかないこともあります。
私の場合はうまくいかないことがほとんどですが、それでもたまに、自分でも満足できるような内容に行き着くことがあります。たまにあるそんな自己満足も、私にとってのモチベーションのひとつです。
自分で満足できなかったとしても、それはそれで投稿・公開してしまうだけです。自分の中の評価がどうであれ、自分が書いた文章を誰かに読んでもらえる喜びは得がたいものです。
別にプロの書き手でもないんだから、こだわり過ぎる必要はないですよね。
ということで、今回も公開ボタンを押します。