将来設計によって閉じられる人生
内田樹・池上六朗『身体の言い分』を読んでいます。
私自身、「キャリアコンサルタントの端くれのくせに、自分のキャリアプランがないぞ…!」と悩んでいた時期があります。
仮設のキャリアプランは作ってみたものの、「本当にこれでいいのか?」「そもそも1ヶ月後もわからないのに、計画もクソもなくない?」みたいな思いが湧き出てきます。
キャリアプランや将来設計といったものは、作るのがそもそも難しく、たとえ作れたとしても、ピンと来ない、しっくり来ないことが多いものです。
「人生の計画を持つべき、計画に沿って生きるべき」という思い込みが強過ぎると、「計画がない自分」「計画を立てられない自分」に対して無駄に焦り、不安を感じることになります。
また、しっかりとした、手応えのある計画を立てられたとしても、それはそれで問題が出てきそうです。
計画があれば、合理的に、最短距離で目的地に到達したいと思うはずです。
回り道や、目的地の変更は避けるべきもの、邪魔なものとして扱われるようになり、「計画」に関係ない情報は積極的に無視、捨象されます。
つまりそれは、人とのご縁や、未知の体験を拒否することに繋がっていきます。自分の知識、価値観の範囲内で作り上げた「計画」を守ろうとすることで、結果として新しい出会い、体験を遠ざけてしまうのです。
「キャリアプラン」や「人生設計」にこだわり過ぎてしまう人は、「未来には何が起こるかわわからない」という単純な事実を見落としています。
もし仮に、自分の能力や適性、価値観にぴったり合った計画を立てることができたとしても、残りの人生の数年、数十年を好きなようにコントロールできるわけではありません。そこは勘違いしてはいけないポイントです。
では、「計画」そのものが100%害悪かというとそうではなくて、「計画を持つこと」や「作った計画を守ること」にこだわり過ぎることがよくないのだと思います。
計画がなければないで、それでいい。
5分後に何が起こるかもわからないし、いつ死ぬかもわからない。
計画があったらあったで、それにこだわり過ぎない。
外から来るご縁、チャンスに対しては、自分をオープンにしておく。
それぐらいの感覚がいい塩梅なのではないかと思います。