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イーハトーブの街、盛岡で『雲を紡ぐ』に登場する喫茶店を巡る

緑が生い茂る、夏の盛岡に行きたい。

『雲を紡ぐ』を読み終わったあと
その気持ちが自然と頭に浮かんできた。

伊吹有喜さんによって描かれる『雲を紡ぐ』という物語は、学校での友人関係がきっかけで不登校になってしまった主人公が、盛岡にある祖父が営む工房で羊毛から布を創り出す不思議な仕事「ホームスパン作り」に触れ、自分だけの色を見つけようとするお話。

そんな『雲を紡ぐ』の物語のなかで登場する喫茶店や建造物は、実際に盛岡の街に存在していて、主人公たちが歩く街並みもそのままに描かれている。

物語を通して体験した盛岡の街は、四季折々の景色が広がる岩手の大自然も含めて、一度は訪れたくなるほど魅力的に見えた。

特に、物語の主人公である高校生の少女・美緒が自分の色とは何かを自問自答しながら、緑が生い茂る盛岡の街を駆け抜けている姿を読んでいて、訪れるなら夏が良いなと漠然と思っていた。

そして、8月の終わり。
ようやく盛岡に降り立ったのだった。

この街はどこからも岩手山が見える。

『雲を紡ぐ/伊吹有喜』p.102

いわて銀河鉄道という路線があることも、開運橋から見える岩手山の景色も、物語を通してしか知らなかったこと。

けれど、そんな想像していた風景をなぞるように、小説のなかにあった盛岡の街並みは目の前に広がっていて、この街で実際に物語が紡がれていたのだと肌で感じ取ることができる。

彼らが過ごしていた場所を巡りにいきたい。
いっそう逸る気持ちを抑えながら、市街へと足を踏み出した。

1日目は旅のもう一つの目的地であった花巻で、作家・宮沢賢治の跡を辿っていた。ただ、そんな花巻に向かう電車に乗るまで、少しの待ち時間がある。

そんな合間の時間で、モーニングを過ごそうと思って訪れたのが機屋はたやという名前の喫茶店。

ひらがなの「ねるどりっぷ」が可愛くて好き。

機屋はたやでは、紙のフィルターではなく「ネル」という布を使用して抽出される、ネルドリップと呼ばれる珍しい手法でコーヒーを淹れてくれる。

その味わいは、小説に登場する美緒の祖父も愛飲するほど。

カウンターの背後の棚に飾られているたくさんの美しいカップに心惹かれつつ、コーヒー豆を売っているコーナーで祖父が好きなブレンドを買う。

『雲を紡ぐ/伊吹有喜』p.209

カウンターに座ると、まさに作中で言及されていた素敵な食器たちが目の前に飾られていた。リサ・ラーソンを代表とする北欧食器たちは、ただ眺めているだけでも、全く飽きない。

これぞモーニング。食器も素敵。

そんな「機屋」では、朝食も兼ねてコーヒーとスコーンのセットを注文する。

ふわっとした食感のスコーンには、バターとクランベリーのジャムが付いていて、甘みと酸味のちょうどいいバランスが保たれていた。

そして、スコーンを頬張ったあとに飲むネルドリップで淹れたコーヒーは、まったりとしたコクのある風味が口の中に広がっていく。

相性抜群のモーニングセットを堪能しながら、ゆっくりとした時間を過ごす空間は、この場所にずっと居たいと思うくらい心地いいものだった。

そんな優雅なひとときを楽しんだあとは、少し寄り道をして、福田パンの長田町本店を訪れた。

余談だけど、行列すぎて危うく花巻へ向かう電車に乗り遅れそうになった。

小説内では、美緒友人の太一らが様々なトッピングをはさみながら、読んでいるものたちの食欲をかき立てていたコッペパンの専門店

具材はあんやジャムなどの甘いスプレッドから、コロッケやポテトサラダ、照り焼きチキン、スパゲティといった惣菜まで豊富にあり、気分に合わせて具材を組み合わせることもできる。

『雲を紡ぐ/伊吹有喜』p.162

店の中に入ると、豊富な種類のトッピングが短冊で掲出されていて、全ての組み合わせを試したいくらい、どれも魅力的。

間違いなく美味しいと断言できるからこそ、本当に迷いに迷ってしまう。優柔不断な性格が、ここぞとばかりに顔を出していた。

悩んだ末に選んだのは、シンプルに1番美味しそうだったピーナッツ&バターと、物語の中で太一が食べていたコンビーフ&ポテトサラダ

写真でも伝わるくらい大きい。

これ以上ない組み合わせだと、いまだに自負している。

ちなみに、お腹が空いてから食べようと思って持ち帰り、夕方ごろに宮沢賢治童話村の近くでご馳走になったのだけど、そのボリュームのおかげでまんまと満腹になった。

この後、夜ごはんが控えているのにもかかわらず、だ。

そんなことはさておき、2日目に訪れたのが、中津川の近くにひっそりと佇む「ふかくさ」という名の、緑豊かな喫茶店。

童心をくすぐるお店の外観。

まるで隠れ家のような風貌で、蔦に覆われた店内にはレトロな雰囲気が漂い、暖かみのある光に心が落ち着く。

梅雨の頃、おつかいの途中にこの店の前を通ったことがある。ちょうど日が暮れた時で、小さなこの店の窓に暖かそうな色のあかりがともっていた。

『雲を紡ぐ/伊吹有喜』p.214

店の奥の席に案内されて、素敵なデザインのランプに照らされながら、美緒と太一が作中にて飲んでいたアイスコーヒーで小休憩。

古風なコップがお気に入り。

一応、避暑のつもりで来たのだけど、8月の終わりの盛岡はしっかりと暑かった。それゆえに、アイスコーヒーが心と体にひんやりと染み渡る。

ちなみに、この旅のおともにと持ってきたのが、上橋菜穂子さんのエッセイ

彼女が訪れた異国の地で起こった出来事を、食べ物の記憶とともに辿る紀行文風のエッセイで、見知らぬ地で体験するこの旅にぴったりだった。

ぜひ、旅行に行く際は読んでみて。

「ふかくさ」で本を読みながらまったりと時間を過ごしたあと、美緒の祖父である紘治郎先生が一人になりたいときに訪れるという「クラムボン」に向かった。

全体の色づかいが可愛いらしい。

紺屋町と呼ばれる通りを歩いていると、不意に現れる、小さな喫茶店。

クラムボンと言えば、宮沢賢治の小説『やまなし』にも登場する一節「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ。」でもお馴染み。

前日に、宮沢賢治童話村を訪れていたこともあって、クラムボンという響きがずっと頭の中でぽこぽこと音を立てながら弾んでいた。

いまだにクラムボンが何かは分かっていないけれど、こんな不思議で可愛い語感のものは他にないのではないかと思うほど、親しみを持ってしまう。

本題に戻ると「クラムボン」では店主の方が、一杯ずつ豆から丁寧にコーヒーを淹れてくれる。そのため、来るまでの間はゆったりとした時間を過ごすことができた。

さらに、プリンも看板メニューとのことだったので、今が旬だとおすすめしていただいた枝豆のプリンもおやつにいただく。

ちゃんと枝豆の風味も残しつつ、ほのかな甘みも感じられた。

味わいも食感も、どれも手作りの温かみが感じられて、ほっこりとした気分に。そして、喫茶店で食べるプリンが1番美味しいと、ここに宣言する。

コーヒーは「フレンチ」ブレンドをチョイス。
苦みのなかにコクもあって、とても好みの味だった。

店内では豆やドリップバッグも購入することができるので、買って帰りたい衝動に駆られる。しかし、それまでに散々食べたいものを見境なく食べていたので、ここは泣く泣く断念。

でも、名残惜しくも飲むコーヒーは
いっそう、特別な美味しさが詰まっている気がした。

その後は、雑貨屋「ござ九」の前を通って、鉈屋町番屋を見にいく。

窓の形が好き。あと色も。

一見、おしゃれな洋風のペンションにも見えるけれど、番屋とは昔でいう火の見櫓と呼ばれるもので、消防団や自警団が見張りをしながら詰めていた場所らしい。

ショウルームがある鉈屋町の番屋は渋みのある古武士のような佇まいだが、紺屋町の番屋は洋館風で、おしゃれなお嬢様のようだ。

『雲を紡ぐ/伊吹有喜』p.315

小説のなかでの表現に深く頷きながら、岩手銀行赤れんが館の中を探索した後は、食べたおやつの分を消化するために盛岡城跡地を散策する。

天気は曇りのち、晴れ。雨が降らなくて一安心。

それにしても、盛岡城跡地のなかには、どこまでも自然が映える素敵な景色が広がっていた。昔ながらの古風な佇まいも相まって、ゆっくりと流れる時間に心が落ち着く。

そういえば『雲を紡ぐ』では、主人公の美緒祖父がこの盛岡城跡地を歩きながら語り合うシーンがあって、それがとても印象的だった。

実際に、自身の足で歩いていると、物語のなかに入り込めたような気がして嬉しくて、何度も同じ道を往復しながら余韻に浸っていた。

ちなみに、物語内で美緒のホームスパン作りの師として登場する裕子先生が、チーズケーキを爆食いしていると噂の喫茶店「チロル」は、シャッターが閉まっていたため、残念ながら今回は伺うことができず。

しかし、何としてもチロルのチーズケーキだけは食べたいと諦めきれずに、盛岡駅の出張店でお土産に購入。帰宅してから、ご馳走になった。

これは、爆食いするのも無理はない。

そんな上から目線で言いたくなるぐらい
ふわふわで柔らかくて、絶品のチーズケーキだった。

小説の地を巡るのは、去年の仙台に続いて2回目だったけれど、街が変わるとまた違った雰囲気が流れていて、とても新鮮に感じられた。

宮沢賢治がイーハトーブと呼んだ、心象世界の中にある理想郷。

盛岡には、そんな彼の心に映しだされている風景と重なる、自然豊かで穏やかな街並みが広がっていた。

そして、また行ってみたいと思うくらい
素敵な空気感が漂い、心が落ち着く街だった。

次に来る時は、必ず、チロルのチーズケーキ白龍のじゃじゃ麺を食べに行こう。

そんなことを思いつつ、作品のなかで美緒の祖父が好きだと言っていた岩手の名物「クルミゆべし」を食べながら、東京への帰路についたのだった。

甘っじょっぱさが癖になる。

こう振り返ってみると、食べてばっかだったな。
それも旅の醍醐味だと言い聞かせてみるけれど。


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