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飛来する花粉との過ごし方
麗らかな春が、もうすぐそこまで近づいている気配が漂う今日この頃。
このまま陽気な季節が到来してくれれば良いのは言うまでもないのだけど、そうなると必然的に一緒にやってくる厄介な存在がある。
それが「花粉」というもの。
日本全国の至る所で被害を撒き散らしているこの存在によって、日常生活もままならない人が多数いらっしゃるのではないだろうか。
花粉症はくしゃみや鼻水、目の痒みなど、致命傷ではないものの、地味に嫌な症状を多く引き起こすので、この季節になると憂鬱な気分に苛まれる一日を送ることもしばしば。
最近は今まで花粉症じゃなかった人も、10年に一度と呼ばれているこの猛烈な花粉の勢いによって花粉症になっているらしく、花粉症に悩む人たちで不満をぶつけ合っている光景をよく目にする。
そして、言うまでもなく
自分も花粉症に悩まされているうちの一人。
しかも、自分は一朝一夕でなった花粉症ではない。
遠い昔からの付き合いであり
もはや旧知の仲と言って良いほどなのだ。
花粉症との歴史を振り返ってみると
最も記憶に残っている記憶が中学生の頃。
それは、道徳の授業の時間だった。担任の先生が授業の最中に流していたのは、歴史に残る感動的なドキュメンタリーで生徒全員が食い入るように見ていた。
そんな、しんみりとした空気が漂う中、花粉の魔の手が忍び寄ってきた。次第に目が痒くなり、涙がにじむ。それを必死に止めようと擦ったら擦ったで、さらに涙が溢れるように出てくる。
ただ、こんな道徳の授業中に涙を流している姿を見られてしまうと、ビデオに感動して純粋に涙を流していると思われてしまう。その時、思春期真っ只中の少年にとっては耐えられない状況だった。
同級生にからかわらるのも癪で、どうしても泣いていると悟られないように平静を装っていたのだけど、どっからどう見ても目元は赤く、周囲からはドキュメンタリー動画を見て泣いていたようにしか見えなかった。
結局、泣いてたことがバレた上にちゃんとからかわれたのだけど、この時ほど花粉症であることを呪ったことはなかったように思う。
社会人になってからも、当たり前のように花粉症だった。東京に移ってきてから、よりひどくなったような気さえする。というか、東京の花粉の量は尋常ではないような気がする。
奇しくも、コロナ禍によってマスクが必須となってからはそこまでマスク姿が目立たなくなったので、この季節は気軽にマスクをしていられる。
そんなマスクすらも貫通してくる
花粉の恐ろしさと言ったらないが。
ただ、もうここまでくると、一生付き合っていくものだと思うので、花粉に対して歩み寄っていく心も大切なのではないかと思い始めてきた。
なんたって中学からの仲で、10年来の付き合いなのだ。
自分の半生を共にしてきた存在と言ってもいい。
そう考えると、中学からの友達が最近、大きくなって世間を騒がせていると思えなくもないので「全くしょうがないなぁ」という気持ちも芽生えなくもない。
少しは花粉症を許してあげようという気持ちになってくるので、日々、花粉に対して対抗心を燃やしている方は、ぜひ意識してみてはいかが。