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文章を書くことは、風船を手放すことに似ている

文章を書くことは、風船を手放すことに似ている気がする。

不安と期待が入り混ざった落ち着かない心持ちで、本当に手を離していいものかと逡巡しながら、おそるおそる握りしめた手の力を緩めていく。

括り付けられた紐は何とも心許なくて、そっと空に浮かびあがった風船は風に煽られながらも、手の届かない距離まで旅立ってしまう。

さらに、見えないくらい遠くまで飛んでいったかと思いきや、ずいぶん前に放った風船が気まぐれな風にのって舞いもどってくるときもあって。

実際のところ、いくつになっても握る手から緊張感が消えることはなく、いつ破裂してしまうだろうかと怯えている。

誰にも見つからずに人知れず萎んでしまう風船の姿が、ときおり脳内をよぎっていく。

それでも、ちょっとずつ風船を手放すことに慣れてくると、さまざまな色の風船を飛ばしてみたいと思うようになる。

夜空に黄色い風船を飛ばせば、星みたいできれいに見えるんじゃないか。暮れなずむ空に、真っ白の風船が漂っているのも風情がある。いっそのこと、青空に青い風船を飛ばしてみるのも、逆におもしろいかもしれない。

どこか遠くのほうまで飛んでいって、より多くの人々に見つけてもらいたいと願いを込める人もいれば、誰にも見つからなくてもいいから、ずっと大空をぷかぷかと漂ってくれればと思っている人もいるに違いない。

名前も知らない誰かのいる場所に飛んでいった風船は、その人からどのように映るだろうか。どんな色に見えるだろうか。どんなメッセージを受けとるだろうか。

あれこれと想像は膨らむばかりで、感想を直接きけることはそうないのだけれど。

このnoteを書きながら、自分は今、手放した風船がどんなふうに見えたらうれしいだろうと考える。


今日、何気なく空を見上げたあなたに、この風船が飛んでいきますように。

今日は何だかラッキーな日かもしれないと、やんわり感じてもらえるような、書くことに疲れた心が少しだけ軽くなるような、そんな文章になりますように。


風船を膨らませながら、そんなことを思っていた。


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