「スポーツ実況という創作」を視聴して、思い出した言葉【noteフェス3日目】
先日、三日間にわたり開催されたnoteフェス。
自分もリアルタイムでいくつか視聴させていただき、アーカイブに残っているセッションなども見させてもらって、興味深い内容に関心しきりの日々だった。
その中でも、特に印象に残っているのがnoteフェス三日目に行われた「スポーツ実況という創作」と言うテーマで行われたセッショントーク。
対談されているのは、どちらもスポーツ実況を主として活躍されている倉敷保雄さんと下田恒幸さんのお二人。
サッカーが好きな人なら誰もが知っているお二人の対談ということで、どういった内容になるのだろうと、ワクワクしながら参加させてもらった。
様々なものに例えられる「実況」
始まりから時計が無いことを巡って一騒ぎがあったりと、自由な雰囲気でスタートしたセッションは、お二人が「実況」とは何かというテーマに関して、様々な事象に例えながら楽しそうに語られていたのが印象的だった。
探偵団、ガイド、音楽、小説などなど。
スポーツからは縁遠いと思ってしまう言葉が飛び交っているのに、きちんと「実況」とは何かというテーマに繋がっていくのが興味深い。
まず、初めに掲げられた「実況とはガイドのようなもの」という言葉を継ぐように、実況をする上での「背景」について語る倉敷さんと「描写」について語る下田さん。
「多少、主観が入ったとしても「こういう事が今起こってますよ」というのを、音で導く仕事だと思ってやっています」(下田さん)
「実況」をするにあたって、それぞれのチーム同士が戦うにあたって、過去、現在、未来を一筆でなぞるように視聴者に伝える。
そのためにはもちろん、過去から現在に至るまでのチームの「背景」を頭の中に入れておく必要があるし、現在進行形で行われている試合の行方を的確に「描写」しなければならない。
「ガイドはガイドでも、ミスリードをするガイドになってはいけない」(倉敷さん)
ただ、サッカーというものがライブである以上、予測不能な出来事が度々起こるはずなのだ。それでも実況の方は、その場に応じた対応を迫られる。
実際、それを試合中に、しかも目まぐるしく攻守が入れ替わる「サッカー」というスポーツの中で選手の動きを「描写」しながら考えるなんて、素人からしたら至難の技のように感じてしまうのだけど、お二人はさらっとやってのける。まさしくプロの技。
また、個人的に印象に残ったのが
倉敷さんの次の言葉。
「文章の中にも音感があるし、サッカーの中にも音感がある」(倉敷さん)
文章とサッカー。
どちらも一見「音」とは関係ない言葉に思える。
しかし、テンポよく放たれるフレーズは気持ちよく、すんなりと頭に入っていく。言われてみると確かに、感覚としては理解できる。
さらにそれは、文章においてもサッカーにおいても、「描写」をトントンと短い言葉で繋げることによって、見ている人の興奮を遮ることなく体に入ってくる「文章」や「実況」へと変わっていく。
ちなみに下田さんは、そんな軽快な言葉の羅列が「自然と口から出てくる」とおっしゃられていて、もう呆気に取られてしまった。
「サッカー実況は即興のようで即興ではない」(倉敷さん)
改めて、自分がサッカーの試合を見ているときに何の気無しに聞いている「実況」は、プロが誇る技のほんの一面でしかないのだと思わされたのだった。
「実況」に伴う描写と感情
普段、サッカーの試合を見ている時は、実況と解説の方がそれぞれ役割分担しながら試合状況を伝えているものだと思っていた。実況の方は、解説の方のサポートをしながら、選手やボールの動きを言葉で描写する。そういう役割。
「実況者っていうのは状況を伝えるガイドでありながら、クリエイターでもある」(下田さん)
しかし、今回のセッションを視聴してみて、それぞれが役割を分担しつつも、実況の方がどれほど「描写」に「感情」を絶妙な配合で織り交ぜているのかと言うことに気付かされた。
ただ、淡々と試合の様子を伝えているのではない。
ゴールシーンまでの道のりを描写しながら、感情を伴わせる。さらには、劇的な展開が起こった場合、即興に近い状況で感情を乗せなければならない。
しかしお二人は、誰かの心に残るための「フック」という引っ掛かりは、単純に試合を「描写」しているだけでは生まれないものだともおっしゃていた。
つまり、人を楽しませるためのエンターテイメントを作り上げるクリエイターとしての目線を持つためには、「実況」に伴う「感情」は無くてはならない存在であり、実況者はその二つをバランスよくコントロールしなければならない。
それが、どれだけの集中力を伴うことなのだろうか。
改めて、実況者の方々には感服の想いしかない。
短い言葉なのに「感情」を揺さぶる
また、このセッションを拝聴させていただいて
一つ思い出す実況があった。
それが、自分が応援しているJリーグの「ガンバ大阪」戦で生まれた
ゴール時の下田さんの実況。
この試合まで「ガンバ大阪」は全く勝てていなかった。
8試合勝利がなく、チームとしても停滞していた時期。
そんな状況で対戦するは、同じ大阪の地を本拠地とする「セレッソ大阪」
「大阪ダービー」と言われるこの両者の対戦は、これまで何度となく激戦が繰り広げられた戦いであり、それぞれのサポーターの熱意と熱意のぶつかり合いでもある。
同じJリーグに所属する大阪のチーム同士の対戦、と言う枠組みに収まる試合ではないのだ。
そういった「背景」があるこの試合で
実況を担当されていたのが下田さんだった。
独特な緊張感が漂いながら始まったこの年の大阪ダービーは、どちらにも点が入らず膠着した試合展開が続いていた。
そして、そんな試合の均衡が破られたのが55分のシーン。
その試合でスタメンに抜擢された髙尾選手から、同じく初スタメンに名を連ねた高江選手に綺麗な縦パスが通ると、最後にパスを受けたのは「ガンバ大阪」の10番を背負う倉田選手。
「おー抜けた、倉田の右足だぁぁぁ!」
下田さんの叫びに呼応するように、倉田選手から放たれたシュートは相手のキーパーの手に遮られることなく、ゴールネットに突き刺さった。
一瞬、しんと静まり返ったスタジアムから、これまでの鬱憤を晴らすかのような歓声が響き渡る中、実況の下田さんは「倉田の右足だ」という言葉から次に「背水のガンバ…」と言葉を続けるまで、なんと約10秒も間を空けていたのだ。
もちろん、ゴールを決めた倉田選手が走り出す姿や駆け寄る選手たちの映像が流れている状況で、その様子を描写することはできたはずだ。
しかし、下田さんはそうはせずに、響き渡るサポーターの声に包まれる選手たちの様子をただ沈黙という「実況」で表現した。勝利へ繋がるゴールの喜びを噛み締めているだろう、サポーターの気持ちを慮るように。
この瞬間に必要なものは「言葉」ではなく「沈黙」である。そんな風に下田さんは即興で考えていたのかもしれないと、今回のセッションを聞いて感じたのだ。
また、この「倉田の右足だ」という言葉も、単純に「描写」だけをしている言葉ではないように思う。
正直、この倉田選手のシュートの場面も決定機ではあったものの、確実にゴールが決まるほど簡単なものではなかった。あまり角度も無い中で、狙い澄ましたシュートを蹴った倉田選手のスーパーゴールと言っても過言ではないの。
それでも、下田さんは「感情」を乗せて、この言葉を叫んだ。この場面における倉田選手のシュートが「ガンバ大阪」のサポーターにとって、ここまでの試合のどんな局面よりも重要であることが分かっていたかのように。
正直、このゴールシーンの場面、下田さんが言葉を放った瞬間、自分は「入った」と思った。そう思ってしまうぐらい、感情が込めれれたこの言葉に心を震わされた。
短く、テンポよく放たれた言葉。
トントンと気持ちよく心に入ってくるフレーズ。
そして何よりも「感情」が込められた実況。
まさに、今回のセッションでおっしゃられていた人の心に残る「フック」を持った「実況」で、だからこそ、今でも多くのガンバ大阪のサポーターにとって記憶に刻まれるゴールシーンになったのではないかと思う。
最後に
この他にも、ここでは紹介しきれないほどの金言や、文章を書く際の参考になるようなアドバイスがたくさん詰まっていた。
まだ見ていない人がいたら
スポーツにあまり興味がなくても見て欲しい。
きっと、お二人の軽快なトークに魅了されるに違いないから。