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鍵って実は凄いのかもしれない
最近、ふと気づいたことがある。
誰もが知っていて、日常的に使用している「鍵」
大事な物や貴重なものを保管するための道具。
日々、当たり前のように扉を開け閉めしているツールではあるけれど、実際のところ、どういう仕組みなのかはほとんどの人が理解していない。
この「鍵」って
めちゃくちゃ偉大な発明なのではないか?
なぜなら、鍵が存在しなければ、盗まれる心配をすることなく自由に外を歩くこともできなかっただろうし、身の危険を感じることなく自身のプライベートな空間を確保することもできなかっただろうから。
安心の担保として、これ以上ないほど心強い「鍵」という存在は、実は何世紀も前からこの世界で、その性能を遺憾無く発揮しており、我々の生活を守ってくれていたのだ。
◇
そんな「鍵」について
自分たちは至極、当然のように使用している。
しかし、なぜ一見似たような形をしている鍵が一対の錠前としか対応せず、外界から内側を完璧に遮断してロック出来ているのか。
ここで説明しようにも、余りにも深い歴史があるため割愛させていただくが、要するに「鍵」は似たような形をしているように見えて、ギザギザの部分の凹み方や形が異なっており、この部分が錠と対応していなければ解錠することができないのだ。
いや、どうやったらこんな発明を思いつくのだろう。
「ギザギザの部分の形を変えれば、いくらでも鍵を生成できるんじゃないか」と閃いた人はもっと後世に名を残すべきだと思う。こちらもスタンディングオベーションで称える準備はできている。
◇
ただ、現代では「鍵」という道具も目まぐるしい変化を遂げており、カードキーや指紋認証など、一般的に想像する「鍵」の形をしていない「鍵」も世の中には登場している。
むしろ「デジタル化」が進む今の世の中においては、次第にそっちの方が一般的になるかもしれない。
しかし、そんな現代の潮流に対して
声を大にして言いたいことがある。
「鍵」は、あの形が一番かっこいい。
そうは思わないだろうか。
確かに、カードキーや指紋認証に関しても、技術の進歩とSF的な世界観を体現していて、童心を十二分に刺激する要素がある。
しかし、艶やかな銀色、煤けた金色、そして、アンティーク感とガジェット感を併せ持つあの風貌こそ「鍵」が「鍵」である所以だと自分は思っている。
そもそも、あの風貌で無かったのなら
果たしてここまで世の中に広まっていただろうか。
もしも「鍵」が森永製菓の「小枝」チョコみたいな形だったならば、おそらく様々なアーティストの歌詞にも颯爽と登場することなく、「キングダムハーツ」という名作ゲームが生まれることもなく、ここまで重要アイテムとはなり得なかったんじゃないか。
「小枝」チョコには別に何の恨みも無いが、鍵があのフォルムのまま遥か昔から受け継がれてきたことは「鍵界」において、とても意義のあるものだったと思う。
◇
そんな訳なので、幼き頃からあの「鍵」の形に憧れていた者からすると、これからどれだけ電子キーや指紋認証が世の中に浸透しようとも、あの形の「鍵」が後世まで残り続けていって欲しいと切に願っている。
ちなみに、今使っている家の「鍵」の形はあまり気に入っていない。
引越しの予定はない。