見出し画像

しゃぶしゃぶを食べた後の一考察

「しゃぶしゃぶ」と言う不思議な食べ物がある。

ただの擬音語にも関わらず、一つの食べ物の名前として世間に浸透しているこのしゃぶしゃぶ

この言葉を聞くだけで、お肉が出汁の中でゆらゆらと身を漂わせている映像を誰もが思い浮かべるのだ。

これが「じゃぶじゃぶ」だとそうはいかない。
雨靴を履いた子供たちが水溜まりを走り回ってしまう。
濁音があるかないかでこんなにも印象が変化する。

そんな「しゃぶしゃぶ」を昨日友達とお昼に食べてきた。

言ってしまえばそれだけの話なのだけど、なんだか興味深いことが連続したのでnoteに書いて少し振り返ってみようかと思った次第だ。


お昼に食べるしゃぶしゃぶというのは何とも贅沢なもので、いつもは軽く済ましているはずのランチとは一線を画したその代物にどれだけ大人になろうとも心が躍ってしまう。

そんな訳で友達3人と2時間食べ放題なる「しゃぶしゃぶ」専門店に向かったのだけど、そもそも外でしゃぶしゃぶを食べること自体が久方ぶりすぎて普通にテンションは高まっていた。

その店ではバイキング形式になっていて、野菜などの具材お肉をつけるたれなどを自分で選ぶことが出来るのが特徴なのだけど、その種類の多さにはいつも驚かされる。

なんせ自分で焼き上げることができるワッフルなんかもあるのだ。それは童心も沸き立つだろう。
沸き立たない人は今すぐ拾ってきて欲しい。童心を。


一通りテンションが上がった後、最初にしゃぶしゃぶに行ったときに訪れる難所になるのが出汁決めだ。

定番の白だしから、少しテイストの違うすき焼き風出汁、そしてキムチ鍋豆乳鍋などの変わり種まで、多種多様な出汁が用意されているこの局面において、全員の意見が一致するようなことは起きえない。
必ず票が割れるようにできている。

今回もそれなりに激論が交わされた末に、白だし豆乳の2つの出汁が選出された。男3人が集まったにしては非常に無難な選択に落ち着いたものだ。

仕切り鍋に分かれた2つの出汁が決まると
次は食材を選ぶフェイズに移る。

鍋において一番美味しい食材と言うと
皆は何を思い浮かべるのだろうか。

もちろんそれぞれ好みはあるのだろうけど、自分は自身を持ってネギだと答える。

これは単純な美味しさもさることながら、鍋に入れた瞬間に飛躍的に美味しさが高まる食材だからだ。

何せ伸びしろが段違いすぎる。水を得た魚のごとく鍋の中で生き生きと輝くネギを見ていると、やはり人は適材適所なのだと思わされるのだ。まぁ人じゃないけど。

そんな訳で、野菜やら飲み物やらを各々がセレクトし終わった後は、いよいよしゃぶしゃぶの本題である肉の注文のフェイズに入っていく。

さっきまでネギを囃し立てておいた癖に申し訳ないが、あくまでメインは肉なのだ。ネギをしゃぶしゃぶしたところで、ネギはネギ。
それ以上でもそれ以下でもない。

この店で肉を注文するにあたって重要なのは、一度の注文で8皿までしか頼むことができないということだ。

この8皿が最後まで自分たちを苦しめることになるとはつゆ知らず、まぁまずは小手調べと言ったところで満遍なく肉を上限いっぱいの8皿頼むことにした。

食事をした時間は13時過ぎということもあって3人ともかなりお腹は空いていたし、これぐらいは余裕の量。
肉はみるみるうちに無くなっていく。

ところで話は変わるけど、しゃぶしゃぶに限らず焼肉などの肉がメインとなる食事を食べに行くと、必ず野菜などは眼中にないとばかりに肉オンリーで頼む人がいるのだけど、一体どういう想像を働かせれば肉を2時間永遠に食べ続けられると思うのだろうか。

食欲旺盛な高校生ならば致し方ないとしても、大人になっていくにつれて肉を食べてる間に挟まる野菜の存在がどれだけありがたい物なのかに気づくはずなのに。

ぜひとも次からは反省して、ネギでも玉ねぎでも何でも良いので頬張ってみて欲しい。


ただ今回に関しては、順調に肉と野菜どちらも消化しながら食べ進めていく。
やはり自分たちは高校生とは違うのだ。
今一度、自分たちが大人になったことを実感した。

しかし、ここでしゃぶしゃぶにおいて
誰もが遭遇する事象が発生する。

それが灰汁と言う存在。

一体肉のどういう成分が浮き上がってるのか原理はさっぱり分からないが、しゃぶしゃぶをすると桃鉄のキングボンビーと同じくらい百発百中で出現するあの物質。

友達の一人が肉を注文する係となっていたのだけど、彼は上限が8枚である一回の注文で必ず8枚頼むので、肉が到着した瞬間からわんこそばのように鍋の中に投入されることになり、灰汁をいくら取ろうが肉が灰汁を抽出するペースに間に合わなくなっていた。

半ばあきらめ気味で灰汁を取っていたのだけど、明らかに肉の排出量が野菜の供給量を上回り始める。
需給バランスの崩壊が目の前に迫る。

自分ともう一人の友達が慌てて野菜をバイキングスペースに取りに行く。

先ほども言った通り、野菜がこの場においてどれだけの癒しであるかを知っているから。例えるなら、砂漠で見つけるオアシスぐらいの価値があるのだ。

しかし、そうやって野菜を取りに行っているのも束の間、戻ってみると鍋にある変化が起きていた。

灰汁がさっきに比べて尋常ではない量になっていたのだ。
しかも、仕切られた2つの出汁の両方とも。

もはや、どちらが白だしでどちらが豆乳であったかも定かではない。
どちらも同じ色をしていた。どちらも色褪せていた。

そんな時、自分はふと白い絵の具に黒い絵の具を一滴たらした時の取り返しのつかない感じに似てるなと思った。

肉という名の黒い絵の具が入った時点で、元の真っ白な状態に戻すことは不可能に近いのだ。
まぁそんな事を考えている場合では全くないのだけど。


こうして色んな意味で第二陣の準備が終わり、いそいそと肉と野菜を食べていると、まさかのこの日一番の衝撃に襲われる。

「まぁ今ある肉で十分お腹の具合は丁度いいな」
そんなことを思っていた彼らのもとに、追加の肉が現れたのだ。

しかも、ちゃんと上限8枚。
いや、この卓は8枚持ってこないといけない決まりでもあるのか。おかしいだろ。

絶望の面持ちで積み上げられた蒸籠を眺める3人。
もう「わんこそばみたい」なんて冗談は
到底吐けないぐらいの腹分目。

自分たちが注文したのか、もはや店側のAIがこちらのアルゴリズムを把握したことによって提供されたのか分からないが、その肉はこのテーブルに辿り着いてしまったのだ。

来たからには残すという選択肢はない。お腹がキャパオーバーだろうが、おびただしい数の肉を前に自分たちは戦いに応じるしかなかった。

たださっきも言ったように、肉だけを終始食べ続けることなどできないので合間合間に野菜を挟み込んでいくのだけれど、だんだんこの野菜の量が目に見えて増えてくる。

肉の合間に野菜を食べているのではなく
野菜の合間に肉を食べるようになってくる。
まさに目的と手段が入れ替わる瞬間。

しかし、本当に肉が減らない。つけだれを4種類も用意しているにも関わらず「全て同じ味なのではないか?」と錯覚するレベルで肉の主張が強くなっていく。

ここまでくると、肉と言うよりは自分たちとの戦いだ。
彼らもあらゆる手段を使って肉を減らそうと試みる。

飲み物で流し込もうとする者。
野菜を巻いて少しでも肉感を緩和する者。
何枚もの肉を塊にして放り込む者

人は限界に近づいた時、自分の殻を破ることが出来る。
そんな気がした、しゃぶしゃぶの終盤戦だった。


この戦いが成功に終わったか失敗に終わったかは
その場に居合わせた者にしか分からない。

いや、もはや成功とか失敗とかではないのかもしれない。

人は目の前に現れた自分の力量を超えた相手に対して
どのように立ち向かっていくのか。

そんな危機的状況にどう対処するかを
味わえる場だったのかもしれない。
まぁ結局、死に物狂いで食べたんだけど。


まとめると「しゃぶしゃぶ」という食べ物は、それを食すに至る過程も含めて様々な体験を提供してくれる食べ物だったと言える。

ところで、自分は最後の5分ぐらいはセルフで作れるワッフルとアイスクリームを食べることに夢中になっていた。

ちなみに、その日食べた何よりも美味しかった。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集