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なぜ童貞は愛されないのか?

朝起きて色んな人のnoteを参拝していたら、
めっちゃ嬉しいことがありました。

okam∞さんが、私の記事について
めちゃくちゃ言及してくださったのです!!

記事はこちらっっ!!!!

しかも冒頭で、noteを始めたきっかけが
私の記事だった
とおっしゃっていたのです!!

私の記事が人の気持ちを動かせた・・!??!

そのことが嬉しくて飛び上がりました。

noteってすごい、一生ついていきます。

早速、記事の感想を、コメント欄に
五百文字ギリギリまで打ち込み、

それでも足りないので記事にした次第です。

記事を拝見して思ったこと。

あぁ、こんな男性がいてくれてもいいのか。存在を認めてくれるんだ。
と、ただただ嬉しい気持ちが湧いたのが新鮮でした。

okam∞さんの記事の中で、
私の書いた記事への感想について、
このように書かれていたことが印象的で、

嬉しく思ったのと同時に、
世間への憤りを感じました。

以前、『恋愛メディアがひろってくれない 童貞の
疑問を解決する本』
という書籍の感想を記事に
したことがあります。

記事を見ていただければわかるように、

童貞向けに作られたこの本の中でも、
童貞をこき下ろして笑いをとることが
エンターテインメントとして成立している。

そのまま存在を認める、という当たり前の
ことが、童貞には行われていない。

童貞に目を向けることはほとんどなく、あっても
それは好奇の目であったり、嘲笑であったり。

私の文章なんかに驚くということは、
童貞を受け入れるようなコンテンツが
あまりにも少ない
ということ。

童貞を愛する者として非常に悲しく、やはり
これは由々しき事態だ、と考えざるを得ません。

なぜ童貞がこのような目に遇ってしまうかに
ついては、根強い意識の問題が関わっています。

たとえば、最近になって存在を認められつつある
事例として、LGBTQなどの「性的マイノリティ」
があげられます。

昔は異常者として一蹴されていたでしょうが、
「性的マイノリティを持つ人間も、同じ人間
なんだ」と訴える、いろんな方の懸命な活動の
甲斐あって、世間も多様性を認めようという風に
考えをあらためつつあります。

性的マイノリティと童貞の置かれている状況は、
とても似通っているように思われます。

それなのになぜ、童貞は性的マイノリティと
同じ道筋を辿らないのでしょうか。

これは、性的マイノリティが少数派であるのに
対し、童貞は「すべての男性が通った場所」
であることが影響しています。

性的マイノリティの存在を認めても、自分への
影響は軽微です。そういう人もいることを知る、
それだけのことです。

多くの人にとって「自分事でない」からこそ、
離れた場所から、マイノリティの訴えを横目で
見て「まあいいんじゃないの」って感じで。

対して、「童貞の存在を認めろ!」的な訴えを
誰かが起こせば、批判を受けます。

まずその理由として、誰もが(とくに男性は)童貞を
知っているために、どんな人でも童貞の批評家に
なれる
ことがあげられます。

女性差別や性被害の訴えなどにおいて有効な
「知らんくせに横やりいれるな」という反撃が
できないのです。

くわえて、これが大きな問題なのですが、
「童貞も非童貞も同じ人間だ」と認めれば、
自分のアイデンティティーを侵害されると感じる
男性が非常に多いのです。

童貞を批判するのは、童貞を「捨てる」ことで、
自分の過去と決別してきた、ダサい自分を捨てた
と思っている方々なのではないでしょうか。

つまり、多くの非童貞が、

「(過去の自分を含めた)童貞より、(いまの自分を
含めた)非童貞の方がすぐれていて、すばらしい」

と思いたいがために、
童貞と非童貞間の隔たりが是正されないのです。

また、童貞コンプレックスは金になります。

noteにも、
「童貞だったボクが○○人とヤッた方法」
だとか、そんな感じの有料記事がありますよね。

「童貞はカッコ悪い」ということにすることで、
得をしている人も居るということです。

その点、性的マイノリティは大したビジネスに
ならないですからね~~。

多数の人にとって、
性的マイノリティを受け入れることは、
「わからないもの」を知り、受け入れること。

一方で、童貞を受け入れることは、
「わかるもの」を受け入れることです。

こう考えてみると、童貞を受け入れるほうが
容易いように思われますが、うまくいかない。

これは「童貞はダメ」「非童貞はすごい」という
童貞差別や、非童貞の特権化によって、
童貞と非童貞のあいだに大きな溝があるから。

だから童貞が何を言っても、「負け惜しみ」
「これだから童貞は」と相手にもされません。

「赤ちゃんが電車でうるさい」に対して、
「お前も赤ちゃんだっただろ」は使えるのに、

童貞に対する誹謗中傷に対して、
「お前も童貞だっただろ」はなぜか使えない。

「自分は選ばれし人間だから非童貞なのだ」
という驕りによって、非童貞は、自分がかつて
童貞だったことを忘れていく
のです。

こう書いてみると、童貞の味方って
全然居ないじゃん、
と痛感させられます。

このままでは、今私の推してる童貞たちも、
風俗店ないし「童貞卒業マニュアル」に
お金をはたいて、純潔を散らしてしまう。

そんな未来は断じて変えねばなりません。

記事を拝見して、ますます「童貞と話す場」
必要なのでは、という思いが強まりました。

どんな形でどんなことをすれば、
今悩んでいる童貞のためになるか?

それをよくよく考えながら、
計画を進めていく決意です。


この場をお借りして、あらためて、
素敵な記事を書いてくださったokam∞さんに、
心より御礼申し上げます。

自分の思考をまとめるきっかけとすることが
できました。ありがとうございました。

今回、このnote活動において「思いが届いた!」
という確かな手応えを感じました。

やっぱり、言葉の力って本当にすごい。

方向性は間違ってない。

noteという場も正解だった。

まだまだ影響力は微々たるものだけれど、

より多くの人を巻き込めるように、

そして一番悩んでいる人のもとへ記事を
届けられるように、これからも頑張ります。


ここまでご覧いただき、
ありがとうございました。


書き始めると止まらないのがnoteの中毒性。

課題そっちのけでやっちゃってるので、
気を付けないと。

あ、大晦日ですね。

私は初めて一人で年を越します。

今までで一番、年末の実感がありません。

家族や友人と電話で繋がりながら年越しを
するので、孤独ではないけれど、寂しいです。

とにかく、美味しいものを食べることで
寂しさを埋めたいと思います。

来年は、もっと童貞と仲良くなれますように!

皆さまも、よいお年をお過ごしくださいね。

それではまた来年。


わらさだくりや

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