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『ギャルの誕生』 平成コギャルの系譜 アラウンド・1990’S 5
The birth of gyaru -みんなギャルで大人になった
バースオブギャル ギャルの誕生
ギャルという言葉は昭和時代からあった。
ギャルという言葉は昭和時代からあった。しかし、今でいうギャルのビジュアルとは全く結び付かず
70年代の(現在死語となってる)「カワイ子ちゃん」に代わるちょっと引いた感じで女子を指す言葉だった。
用例:「隣の(カラオケ)ボックスにギャル二人いるよ。」(あくまでビジュアルは普通の女子をさした)
無色の言葉だったので ○○ギャルとかの形用をわざわざつけないと意味をなさなかった。(例えば上野千鶴子のクシィ・ギャルの大研究―1982年)
今のビジュアルで比較的近い始祖鳥的なのは、シンガーソングライター浜田麻里1983年であったと思う。
デビュー時は80年代黒髪アイドル全盛のころと言えばその異色さが分かるだろう。
割とキャラ演出っぽかったし、当時はあまり見なかった露出。もちろんロックシンガーであったがゆえだが、当時のガチロッカーとは違うPOPでアイドル的な側面もあった.。
シンガーソングライターとして世間に媚びない歌詞も今のギャルの始祖っぽい、昭和の女性に求められていたイメージに反旗を振った。(『Return to Myself』1989年)。当時の動画があまり残っていないのが残念。
実際こんな主張やビジュアルは憧れの存在で一般的ではなかった。
『ギャル』という言葉が「態度や行動」と結び付いたのが 中尊寺のスイートスポット 1989/11/1
昭和マンガにはない当時としては斬新な絵柄でギャルが描かれる。
実際 『オヤジギャル』という言葉が流行語大賞(1990年の新語・流行語大賞新語部門・銅賞) になりキャラ立ち、象徴としてキャラ化したギャルが知れ渡った。
ギャルという言葉に色がついたのだ。
このマンガのキャラを少し黒めにすれば今のギャルに近づくのではないか。
で、当時のギャルという言葉はOLを中心にした20代を指していたのであった。
(ちなみに1993年にはポケベルで待ち合わせをする『渋谷で5時』(:鈴木雅之と菊池桃子)のデュエット曲がヒットする。すこしづつコミュニケーションのあり様がデジタル化していく)
このような状況が醸成されるの中、デビューしたのが 『安室奈美恵』である。(1995年1月ソロ)
この大旋風は、説明の必要はないだろう。
アムロフォロワーの「アムラー」は説明に及ばず、
茶髪、厚底ブーツ。今では信じられないが一般人がカラーリングし始めたのもこのころだ。
YouTubeで昔の動画、ドラマを見ればわかる通り、それ以前の日本人は不気味なくらい全員黒髪だった。
当時の高校は、安室奈美恵大ヒットのの中、
第二次ベビーブーマーが学校を去っていき、これからの少子化、生徒減少に高校側に危機感が生まれ制服を可愛く変更したり、有名デザイナーにデザインしてもうらう高校も増えて全体的にゆるくなってきたのも追い風になった。
安室奈美恵の影響下の中でそれぞれ「らしさ」が追及されていた。
今の「ギャル」とは違い幅がとてつもなく広かった。
この旋風の中心だったのは女子高校生だった。
この旋風の中心だったのは女子高校生だった。
今までの20代中心のギャルとは違い高校生中心だったため、ギャル=20代と区別するために、小さいギャル、コギャルという名称が一般的になっていった。
まだまだ言葉としてのギャルはあくまで20代を指していたのでそのまま高校生に使うのは違和感があり、コギャルという名称はあっという間に浸透した。
有名なヤマンバをはじめルーズ、スーパールーズ、スーパースーパールーズ、とにかく新しいスタイルが「らしさ」追求の為、振れ幅が大きく
何でもアリだった。
今のギャルに近い綺麗めの大人ギャル、(オギャルと呼ばれた)、
逆に重ねメイクの不衛生さを揶揄して汚ギャルなど・・
プリクラやPHSにストラップジャラジャラ(盛りの始まり?)でコミュニケーションを図りどんどん一般化していった。プリクラを分配してミニ6穴手帳に貼って見せ合う。(インスタみたいな使い方。)
今となってはギャルは細身ばかりだが、
今となってはギャルは細身ばかりだが、
映画 サニー(日本版)の梅のように 超太めでも堂々とギャルをやっていたし、スタイル以前に「らしさ」が全てを肯定した。
そしてそれこそが当時のギャルがギャルたるゆえんだった。たとえ顔に自信が無くてもガンガン焼いてメイクとともにガングロにすれば、ギャルでいられた。
どんな文化もたいていそうだが、差別化のために極端に走る、そして袋小路にはまる。
JKであれば全肯定、阻むものは何もなかった。。はずだったが
いわゆるブルセラ事件(1993)、淫行条例制定などで風当たりが強くなってきた。
サラリーマン、大学生(高校の先輩)が女子高生と付き合っても当事者が良ければそれで問題ない時代であったが、なんとなく世間の目が厳しくなり、落ち着きムードがひろまり過激さは減退していった
そんな細分化、派生ギャルの中でつぎのアイコンが登場する
そんな中で浜崎あゆみ(1998) 渋谷から地方のマイルドヤンキーへ
あゆを(コ)ギャルに含めていいのか問題・・・
あゆはギャル風ではあったが今までの「ウチらが楽しければ 地球も幸せー」的なノリと勢いとはかなり違っていた。
よく言えば傷み、悪く言えば闇を隠さなかったキャラだった、当初は深夜番組で歌ったり、よくわからない雑誌のモノクロページで対談企画プロモなど地味だった。
華々しいコギャルがあくまでも繁華街を前提にしたカルチャーであったが、まだまだ地方には昭和ヤンキーファッションやカルチャーの影響があり、
良くも悪くも繁華街文化とのギャップはむしろ広がっていた。そんなギャップを満たしたのがあゆだった。
地方の(後にマイルドヤンキーと呼ばれる、)決して高収入、高学歴ではないが
地元利権と仲間に囲まれて首都圏の単身者より安定しているが、それゆえしがらみの多い地方女子層にあゆの歌詞がさささった
メイク技術は向上しネットで拡散され、美容整形も安価になりプチ整形という言葉も生まれた。
様々なオーナメントやグッズでだれもがあゆ(ぽく)なれたのだ
それまで割と地味にモデルやったり、タレント養成所の広告塔したり、地味な歌い手としていたくるみさんが
どんどん変わっていったのが素人目にもすごかった。
浜崎あゆみは全国席巻したが、地方の子がバンに乗ってキティちゃんのスリッパはいてあゆをきいているうちに渋谷ではマンバが独自進化
渋谷ではマンバが独自進化、ここらへんは 『パギャル!』の世界
ドラマMでは、ヤマンバがカメオw出演している、時代だね
その後は近い時代なのでネットに任せるが
小学生雑誌にギャル風メイクが載ったり、かつてのコギャル世代が子持ちになってくるとファッションとしてのギャルは年代を問わなくなってきた(ヤンママ、ギャルママ)。
そしてコギャルがより普遍的な「ギャル」として、今日「ギャル」と聞けば普通にイメージされるあのギャルが誕生したのだ。
そしてコギャルがより普遍的な「ギャル」として、今日「ギャル」と聞けば普通にイメージされるあのギャルが誕生したのだ。
このギャルの意味は10年以上続いているので、様々な変遷があったにせよほぼ固定されてとみてよいだろう。みちょぱ、ゆきぽよは正統派ギャルだ
それからegg1995-2014年7月号
20年近くけん引したなあ
ちなみにレベッカの
ブロンドザウルス89年
タイトルもすごいがジャケも凄い
なんといってもegg創刊の6年前、当時アメリカ帰りのNOKKOが一番日本の変化の発端に敏感だったかな
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