才能としての近視?
才能としての近視?近視の才能?
自分は目が悪い。いや悪かったというべきか今も悪いというべきか
レーシックを角膜限界まで2回受けたが徐々に下がり両目で0.6見えればいい方だ
今なら後戻りができる眼内レンズでも入れるのだろうが、削ってしまえば後に戻れず一生傷口も直らないレーシックしか
当時の選択肢は無かった。
でも自分のような強度近視の遺伝子ががなぜ今まで淘汰されずに生きてきたのだろうか
(まあ自分の代で淘汰されそうだが、それはおいておいて)父も祖母も強度近視だ。
レーシックで屈折が遠目に調整されると比較的手元が見づらくなる(ほんの少し)。
もちろん老眼もあるだろうがレーシック受けた当時、老眼全くなかった時でも同じだ。
レーシック前の強度近視の頃は近くなら物体にぎりぎりまで目を近づければなんでも見えた。
プラモデルもはんだ付けも余裕だった。
レーシック以降は少し見えづらい気がするという理由だけでこうした趣味も遠ざかってしまった。
近視の人間が生きてこれたのは近場作業に特化した才能として認められてきたのではと、ふと思う。
おそらく、槍のとがったところや、釣り針を作ったり、近代では裁縫やら機械作業だったりなど
遠くを見るのに特化した人にとっては面倒なことをド近眼の人間は結構長時間やれるという事で重宝される才能があったのだろうか?
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