#151 応援の言葉
頑張れ。
で俺はいいと思うわけ。誰なんだよ、最初に「頑張れって無責任に言われると、もう頑張ってるんだからそんなに言わないで」とか言ったやつ。「頑張れ」という命令文は必ずしも「今以上に頑張れ」ということを意味するわけではないだろ。「これまで通り頑張れ」の意味で理解すれば、それはどんな言葉よりもお前の今までの頑張りを尊重し称賛する言葉になるだろう。逆に聞くけど、お前はこれまで既に充分に頑張っていると思える相手に、そんな追い打ちをかけるような意図で「頑張れ」って声をかけようと思ったことがあるのか?そんなことするわけないだろ。相手が充分に頑張っていることなんて当人以上に感じているのに、それでもなお貫通してくる応援の言葉として「頑張れ」と思わず発してしまうものだろ?お前がそうなら、お前の大切な他者だってそう思ってくれてるだろうよ。お前がもてる程度の善意くらい、お前の大切な他者はお前に向けてくれているに決まってるだろ?そう難しくなるなよ。他者を信じろ。
楽しんでこいよ。
俺はこれも大好きな言葉だからしょっちゅう口にしてたけどね、最近はちょっと控えるようにしてるんだ。いや、当日に至るまでのそのなだらかではない道のりにせよ、迎える当日のヒリヒリしたあの独特の雰囲気も、放っておいたって楽しいはずのものだし、短くはなくも多様である人生の中で、せいぜい同世代の半分くらいしか選択しない道をお前は選択したわけだから、規範としてもこれは楽しむべき経験であるのは間違いないんだよ。だからまあ、俺は楽しんでほしいし、実際に俺にとっても楽しい経験だったんだけれど、ただ、その楽しみはどちらかというと終わってしばらく経ってから意味を付与するものなんだよな。リアルタイムで感じる楽しみだってあったんだろうけれど、後になってその経験に物語を与えるときに、じわじわと醸成されていく。そういうふうにして楽しみは生じてくるものなんだ。刑法と違って経験には遡及効が働くからな。だから、正確には、「あとになって楽しめるようにな」くらいの言葉をかけるべきなんだけど、そんなこと今言われても仕方ないしな。俺が今何を言ってんのか、五年後、十年後に分かったら、美味い飯でも食いに行こうや。
緊張すんなよ、平常心でな。
無理なんだよな、そんなことは。ムリムリのカタツムリなんだよ。心臓はバクバクするし、文章が頭に入ってこないし、手はガタガタ震えてペンに力は入らないし。そういうもんなんだよ。デンデンムシなわけ。俺なんてひどいもんで、受験票を忘れていないか不安で不安で仕方がなかったから、家を出て電車に乗って会場の最寄駅に着くまで、駅に停まるたびにカバンの中から受験票を取り出してその所在を確認していたもんだよ。そんなことしたって二度目以降の確認は紛失のリスクが高まるだけで何の合理性もないのにな。そういうもんなんだよ。だから対策もへったくれもないんだけど、だからこそ、それを言い訳にしないでいいようにな。みんなしてんだから、緊張なんてもんは。緊張して力が出せなかった、なんてことはないんだ。それ込みでの出力のことを実力って言うんだよ。だからまあ、当日になって焦らなくてもすむように、緊張するイメトレだけはしときなさいね。人はどうせ緊張するもんだし、常日頃とは違う環境に身を置くんだから、平常心なんてあるわけないんだよ。どうせ緊張するし頭真っ白になるしパニックになるんだから。
悔いの残らないように。
これも二つ目と一緒なんよな。そんなもんは時間の経過とともに付与されるもので、今考えても仕方ない。というか、厳密な意味で後悔の全くない選択なんてものはあり得ないわけでな。経験を細かく分解すれば、そのどこかで後悔は生じるもんだ。キラキラした顔で、「私の人生には何の後悔もありません」なんて言っている人は、経験の襞を精密に見ることのできない脳みそのシワまでキラキラしているおめでたい人か、たくさんの後悔を経た上で人前ではそのように語ることに社会的ないし個人的な意義を見出した思慮深い人かのどちらかだよ。俺は極めて優秀な若者だったから、高校も大学も余裕綽々で第一志望に合格したけどね、さぞかし俺のような優秀な若者だらけだろうと思った大学には自分より優秀だと直感できるような同輩は見当たらなくて後悔した覚えがあるし、そんなことを思ってしまって洞察力を磨こうともせず他者と深く関わらなかったことを今は猛烈に後悔しているけれど、まあそういう後悔のおかげで、俺は今こんなふうに魅力的な人間になっているんだよ。だから後悔したことによって後悔しなくてすんでいる。こういう逆説的な表現の処理の仕方はお前らにはさんざん説明したから大丈夫だろ。
うーん、そういうわけでな。どんな言葉を使うにしても、それは100%まじりっ気のない本当の言葉なんだけれど、同時にそれは本当の言葉であるがゆえに今のお前らにとっては嘘になってしまう可能性があるんだよな。まあ言葉なんてものは本質的に俺のものじゃないし勿論お前らのものでもないから、本当とか嘘とかそういうことを語っている時点でそれはもう嘘でしかないわけで、それを思うとやっぱり「かたる」っていう和語はすげえよな。「語る」ことは「騙る」ことだし、その二重性に真摯に向き合うことで「勝たる」に至るんじゃねえの。うん?今のは「語り」か「騙り」かどっちなんだって?そんなもんお前らが決めろよ。言葉は俺のもんじゃないって今言ったばかりだろ。
話がそれたな。俺の悪いくせだわ。いや、だからまあ、なんだ。ここまでに挙げた言葉全部本心なんだけどな、まあこれならさすがに俺が込める意図も基本的に一通りだし、お前らの受け取る印象も一通りに定まるんじゃないかっていう応援の言葉が、今のところ一つだけ見つかっていて、だったらそれを先に言えよ、こっちは明日のことで精神的にいっぱいいっぱいなんだよって言うだろうけどな。しかたないだろ、俺はまだ四十路にも至っていないんだ。ちょっとくらい惑ったって孔子も納得してくれるだろ。じゃ、そういうわけで明日、人によっては明後日まで続くな。まあともかく、
健闘を祈る。